社会福祉学の原理としての「存在」

中村剛(2011)「社会福祉学の原理としての「存在」」『臨床哲学』12,59-70,大阪大学大学院研究科臨床哲学研究室

http://ci.nii.ac.jp/naid/120003534607

PDFあり

 副題は、人間本来の尊厳を露わにする『存在』の探求となっている。

 ハイデガーの存在をめぐる言説を参照しながら、社会福祉学がどのように目の前の利用者を理解するべきなのかについて論じている。ハイデガーの存在論についてはうろ覚えで、言及できないが、それでも中に引用されている箇所や構成から何となく、言わんとするところが理解できる。とにかく、この論文はハイデガーを抜きにしても、すごく考えさせられる内容である。何か、祈りにも似た静けさとその人間の内的世界へ豊かさへの探求が感じられる。その本質は、以下の引用に集約されていると思う。

 しゃべれない、見えない、歩けない、IQは測定不能であろうと無かろうと、「一人ひとり人は大切な存在なんだ」という思いが、社会福祉の営みにはある。社会福祉が対応する様々な問題が、必ずしも改善・解決ができるものばかりではない。それ故、時に無力感を覚える。それでも支援し続けられるのは、そこに「人は大切な存在なんだ」という思いがあるからである。

 そうしたことをハイデガーの言説を論拠にして進めているというわけである。そして、尊厳とは何か、そして人を理解するとは何か−社会福祉学としての−ということになるが、

 人々の経験そして自らの経験に対してリアリティを持って理解するためには、歴史/地域(世界)の内に存在している人々(現存在)の立場から、一人ひとりの人が生きている現実を理解する歴史的/実践的立場が必要である。この歴史的/実践的立場に基づく社会福祉学の理解が「存在の理解」である。

 と結論づけ、さらに、「なぜ私に、このような世界が与えられているのか」という問いを、社会福祉学における問いとして考えることができるとされる。その後、末期のガンにかかった作家たちの世界は輝いていることの記述などを引き合いに出して、なんでもない風景も、生が輝いていること、尊いことなどを論述して、世界は無意味なものはなく、何かしらの根拠があり、それだけでも意味があることを明らかにしている。

 「無くて当たり前にもかかわらず、こうしてあることの奇跡』という反転のロジック(存在の論理)が、この世界があることのかけがえのなさ、ありがたさ、大切さという「私たち一人ひとりに世界が存在していることの意味」を露わにしてくれる。

 いずれにしろ、こうした議論をする人がいなくなって久しいと思う。青臭くても良い、ヒューマニズムとは何か。そして、自分は何を考え、どう行動するべきなのか。自分のスタイルとは何か。そうした話し合いがいまこそするべきなんじゃないだろうか。(それでも)利用者が好きって素直にいえる人がどのくらいいるだろうか。

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