スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

介護者支援の論理とダイナミズム

斎藤真緒(2010)「介護者支援の論理とダイナミズム」『立命館大学産業社会学部』46(1), 155-171

http://ci.nii.ac.jp/naid/110007767369

PDFあり

http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/ss/sansharonshu/461pdf/04-03.pdf

 副題は、ケアとジェンダーの新たな射程となっている。

 要約にも明らかにされているけれど、簡単に言って、家族介護はほとんどどの家庭においても「仕方のないこと」として、家族が引き受けているが、その状況は非常に苦しいこと。その苦しさは、例えば、介護のために仕事を辞めないといけなくなったり、長期にわたることがあり、見通しが立ちにくいことから不安定で不安な生活を強いられること。そして、その介護状態が不可避的であることである。

 ながらく、介護は女性の仕事として位置づけられて来た。それはジェンダーの問題として提起され、男性も等しく介護をするべきであるとするキャンペーンが張られているが、介護を取り巻く環境は、そんな短絡的なことではなく、過酷な現実として問題であることを提起している。この論者は、より広い文脈で捉えるべきとのことで、「ケアの倫理」を手がかりに、その倫理をめぐっての様々な議論を引き合いに出し、新たなケアの空間をどう創出させたらいいのかを提言している。このケアの倫理やケア労働を感情労働として捉えて、奉仕や愛の精神が強調され、無償で働くべし→低賃金に甘んじるべきだとする言説が存在することはすでにいくつかの論文などで紹介しているので省略。

 この論文ではそのあたりのことをより精緻に『ケア労働の形態』として図表化し、介護支援のスキームとして象限化しており、議論のネタとして非常にまとめている労作である。また、単なる理論の紹介にとどまらず、現在の介護保険の改正に隠喩にヘルパーの適正化~同居家族原則の徹底など、再び家族の介護責任を強化することによって、制度サービスはあくまでも家族の後方支援へとその役割を縮小する、「再家族化」という様相を呈していることなどを紹介し、改めて家族介護のあり方についての問題の深さを浮き彫りにしている。

 この論者は、家族は介護しないといけないとすることは、政治的な空間で作られた言説であり、介護をしないことを選ぶには何かしらの後ろめたさを感じさせる空気(言説)がかなり影響していること。そのため、これを脱政治化するには、介護者のケアをする権利の他にケアすることを強制されない権利、そして被介護者もまた同様にケアされる権利とケアをされることを強制されない権利という考えを持つこの重要性を論じていると思う。

 そして、介護によって職を辞めざるを得なくなった場合の所得の保障と継続性を社会全体で行うことの重要性。またもっとも有効だと思うのが、介護者のニーズを反映させる介護者に配慮したケアプランの作成である。とくに、このケアプランはケア関係を閉塞化させない仕組みとして位置づけることができるといえるとされる。海外の状況を踏まえながら決して非現実的な提言でないことも踏まえており、説得力はあるといえる。

 多様なライフスタイルになっているため、介護者は女性だけではないこと。共稼ぎのために女性が家にいるとは限らないことから男性の介護の重要性が説かれている。しかし、その一方で、介護現場にいると、結構ひとり暮らしの人や老老介護の状態になっている場合もある。嫁や娘が同居しているケースであれば、この論文の提言はかなり有効であるが、それ以外の場合はどうなのか。そして、介護を要する人たちはどのように生きるべきなのか。独居で認知症があり、朝と晩に娘がちょっと家の中を確認して帰るだけの家でも何とか生きていくことができる人もいる。案外、人はこっちが心配するほど、ケアが必要だとはいえないのかもしれない。

 また、ケアされる権利と同様に、ケアされることを強制されない権利があるというが、そんな権利は有効なのか。目の前に介護を要する人がいる。家族はケアをすることを拒否した。その時、ケアさることを強制されない権利は発動するのか。あるいは、理性的な状態ではない時はどう判断するのか。認知症の場合、言語が無い場合、全身麻痺をしている人などケアされすることを強制されない権利はあるのか。どうするのだろうかと思った。

 ただこの論文から学んだのは、そこで家族がケアをすることを強制無い権利を発動し、介護を拒否したことに対して否定的に受け取ってはいけないことである。特に、外部サービスとして引き受ける介護従事者はそれに理解を示すべきなんだろう。ともすれば、介護従事者こそがそうした介護を拒否した家族への否定的感情を抱きやすいが、それは間違った感情であるといえる。

 とはいえ、介護は家族がしないといけないという空気は根強い。しかし、無理することはないし、それは作られた言説であることを明らかにした。その後、でも、やっぱり自分の親は死ぬまでケアをしたいとする気持ちもよく分かるし、悪いことではないよねと確認した。その上で、もっとケアをすることが気楽で安心できる環境を作るならこうした取り組みがありますよと言う感覚で読むと良いと思う。文体は硬いし、論じられている内容はかなり込み入っていているけれど、要するにそういうことなんだろうと思う。

関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

kuma

Author:kuma
救護施設→知的障害児施設→通所介護施設(高齢者)と15年以上。これからも思考と体力で、働いていきます。

自分のサイトもあります。
kumaの学習ノート

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。