災厄の痕跡(2)

鈴木智之(2006)「災厄の痕跡」『社会志林』53(1), 1-33,法政大学

http://ci.nii.ac.jp/naid/120000993350

PDFあり

 副題は、日常性をめぐる問いとしての『ねじ巻き鳥クロニクル』(2)となっている。

 (1)は、他者性とか権力と闘争、あるいはアイデンティティの変容について述べられていて、どちらかと言えば言説~言葉の持つ力を中心に語られていた。(2)では、身体の感覚とか変容、身体と意識が中心になって述べられている。イデオロギーとしての言説、コミュニケーションによる他者との差異や同一性が(1)では語られたが、(2)では、そうした言説などが身体にどのような影響を与えているかである。つまり、痛感を無くした加納クレタ、不意に訪れた性的な欲望と快楽に押し流されるクミコの体、ゆっくりと皮を剥がされながら息絶える山本といった、身体の変調を権力との闘争を軸に語られたというわけである。

 身体は皮と感覚で外部と関わり、自己と他者あるいは自己と環境を区別する。そうであればこそ、感覚の変容は、世界の変容であり、世界の現れ方の変容であること。例えば、風邪を引いて味覚が変われば、それは主体の変容であり、その時に知覚する物事は、通常の状態と比べて世界が変容している捉えるべきである。

 その後、テクスト分析により、加納クレタの痛感の変容から統合、接触困難なクミコをどう奪取していくのかという闘争の問題、戦中の収容所での身体と支配と権力の構造などを例示している。その中で興味深いのは、人には二通りの肉体があるとされる。一つが、社交圏において互いに見せ合う[自己]…社会的な役割を伴ったもの。そして、もう一つが、タダの肉塊である。

 生きられた現実を有意味な空間へと分節化する媒体としての身体。それは同時に、その世界との世界とのつながりの中でそれ自らもまた分節化され、意味を帯びる身体である。

 これに対して、他方では、感覚的な分節の力を欠落させた、肉塊としての身体。それは、人称的な関係の外部に放棄される、没社会的な身体である。

 また、収容所での身体の有り様は、いわゆる生権力といわれる現代の支配イデオロギーをより剥き出しの形で具象化したものとして描かれる。収容所は、法的に全面的に宙づりにされた空間であり、それが故に、「何でもあり」の空間となる。収容所に入っている捕虜は、あらゆる政治的立場を奪われ、「完全に剥き出しの生へと還元される」とされる。

「収容所」においては、「生権力の最大の野心」があからさまな形で具現化される。それは「人間の身体の内に、生物的な生を生きる存在と言葉を話す存在、生命と生活、非ー人間と人間の絶対的な分離を生産」すること、すなわち「人間としての生活」を奪い取られたままの姿でなお「生き残る人間」を生産する。

 この収容所をめぐる考察では、要するに、戦時中の収容所における身体の有り様は、収容所という権力システムの中で変容し、生物的なものへと生かされること。あらがいがたいものであることとされる。しかし、ここ最近言われているアラブの春といわれる一連の変革は、既存の権力システム~今までの生活や生権力へのアンチテーゼとして立ち現れている。それは、またいずれ何らかの権力システムによって回収されるとしても、人々は自分たちが望むべく生活の有り様は自分たちで決めることができるのではないだろうか。ちょうど、収容所は戦争の終結によって解体され、また捕虜達も生き直すことができているように。

 いずれにしろ、収容所による生権力の挿話から権力と身体がより具体的に終盤、ノボルと主人公の対決へと収斂していく。ノボルは、身体を常に不確定な状態に置き、解体し再組織しようとするシステムの体現者として振る舞う。こうしたシステムは、身体は安定した自我の土台とならず、偶発的な変容を被る~こうしたシステムを汚れとも言い、そうしたシステムを身体のどこかに封じ込まれた状態を「災厄の痕跡」として論者は表現しているといえる。とするならば、主人公とは何か。ノボルが、汚すことによって離脱と移行を促し、主人公の僕は浄めること統合を可能にする存在らしい。ノボルが損なうことで支配する自分の力に、セラピー的な主体としての僕が敵対するのである。そして、それだからこそ、主人公の僕は、日常を守るために暴力の主体とならねばならなかったとする。「損なう者」から日常を守るには、そのものをセラピーするのではなく、退ける暴力こそが唯一の防御である言うわけである。

 一応、(1)と(2)を通して読んでみて…長かった…この本を読んだのももう10年くらい前だったので、セリフとか筋書きとかほとんど忘れていて、単になんか不思議な小説を読んだなという感覚でしかなかった。もう少し他の論文を読みながら、考えを深めていこうかと。この論文から文学論は単にテクスト分析ではなく、また文学という仮想の世界だけの話しだけではなく、文学で問われている現実を解釈し、取り出し、そして自分に引き寄せ、そして文学に返すという実践的な学問であることが分かった。

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