仏教と社会福祉の関係に対する試論

澤野純一(2011)「仏教と社会福祉の関係に対する試論」『花園大学社会福祉学部研究紀要』19,95-106


http://ci.nii.ac.jp/naid/110008154683


PDFあり


 詳しくは抄録を参照していただくとして、もともと現在の社会福祉は戦後アメリカ軍GHQの指導監督の下に作り上げられた民主主義思想を色濃く反映させているものであることは周知の通り。だから、自立観とか生存権保障や文化的で最低限度の生活のとらえ方は、アメリカ的。でもって、アメリカのバックボーンはキリスト教なので、当然、底流にはキリスト教的な思想が流れている。その後、介護保険とかいろいろな先進地をモデルにして制度が組み上げられているけれど、ほとんどが欧米であり、そこに仏教が入り込む隙はない。


 もっとも昔から日本ではお布施や窮民保護などお寺が担っていたこともあったし、慈悲の心とか菩薩行とかなんだか社会福祉のキーワードになるような実践も説かれている。また、社会福祉と仏教を語るとき、親鸞とかよく取り上げられる。それが日本独自の社会福祉実践であるとする論理も分からないでもない。私が敬愛する学者~吉田久一は、仏教と福祉、そして日本の福祉の歴史を描いているので否定はしない。


 しかし、でも、やっぱり現在の社会福祉は欧米思想なんだよなぁと思う。そこにとってつけたように仏教の何々が社会福祉思想として重要だと説かれてもピンと来ない。例え、社会福祉的に見えても、仏教の弱者救済は、やっぱり仏教の実践であり、社会福祉とは別の次元だろうと思う。弱者救済がすべて社会福祉と捉えると、何か全体を見失うんじゃないかと思う。また、社会福祉の思想を語るとき、仏教思想のキー概念を取り出して論じている時点で何か違和感が残る。仏教は仏教。社会福祉は社会福祉ではないかと。では、社会福祉の「思想」とは何かとなれば、それは宗教観と非常に重なり、根っこは多分同じものがあるんだろうなぁと思う。そして、宗教的思想という大きな丸の中に社会福祉の小さい丸が内包されるんだと思う。それだけ、宗教という思想は、広い。


 本論はその意味で、どの仏教思想のキーワードが社会福祉の思想に重なるのかとか影響するのかということを微妙に避けながら繊細に論じている。大事なのは、キー概念を語る一歩前のスタンスを丁寧に語ることである。思想とか読み慣れていない人には非常に難しいが、よく読み込めば、言わんとすることが伝わってくる。仏教は垂直的にあって、その深みは人間にはとうてい理解できないレベルであり、究極的には宇宙的である。そこに時空間として歴史や社会的世界が水平にある。この仏教の垂直と社会世界の水平の中で人間個人がベクトルとして存在する。仏教という思想の深みはこの水平からいかにベクトルとして強度を持って進むかにあると。よって、社会福祉の実践という社会生活世界からどのように思想をくみ出すのかは、個々人の思想へ向かっていく強度が重要になるのではないかと思われる。


 昨今、介護現場では、歴史性が欠如しがちであり、思想などはうち捨てられる。価値や技術はよく論じられるが、価値を意味づけるのは思想であり、思想無き価値はないと思うならば、面倒くさくても、思想を紐解き、その意味を呻吟することもたまには必要ではないだろうか。



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救護施設→知的障害児施設→通所介護施設(高齢者)と15年以上。これからも思考と体力で、働いていきます。

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