老人ホームは生活の場か

井上英晴(2003)「老人ホームは生活の場か」『九州保健福祉大学研究紀要』4,13-23

http://157.1.40.181/naid/110000965977

PDF論文あり

 特養は入所施設、生活の場であるとされる前は、収容施設であるとされていた。地域福祉、コミュニティとの絡みで、かりに特養が生活の場であるならば、施設を拠点に地域に向かって入所者が外に出て行くことが求められるが…果たしてと、かなり刺激的な論考である。

 また家庭的な老人ホームをめざしていますと言うが、施設は家庭ではあり得ず、老人ホームはあくまでも社会的な場(つまり他人が寄り集まった場)である。家庭という幻想を捨て、社会的な場であるからこそ、収容施設的なものから解放するという視点を持つことが大切である。

 さらに施設は生活の場であると福祉関係者は言う。しかし、介護労働者は、仕事の枠やケアの提供によって賃金を得ているというビジネスマン(組織人)としての規範が働いている。だから老人は職員にとって交際相手ではなく、交渉相手である。本来、生活とは労働と一線画した言葉であり、労働を離れたつきあいこそ、生活の内容を彩るものである。生活とは仲間であり、なおかつ職員と労働を離れたつきあいが求められる。それが「生活の場」である。施設職員や施設が目指すべきは、特養は社会の場であるという認識の元、老人と一緒に考え、収容的な取り組みからの脱却~コミュニティ(コミュニティマン)になるべきだと。

 その後はハイデガーとかケア理論とかそっち方面に流れてちんぷんかんぷんになってしまっていたけど、前段は考えさせられた。総括すれば、コミュニティマン時々ビジネスマンと役割を柔軟に組み替え演技しながら、社会的生活の場としての特養をめざそうということだろう。しかし、それは感情労働との観点から考えると、演技することによる感情疲弊などはどう対処するのか。

 施設全体として社会的生活の場を目指し、老人と援助者が仲間として振る舞うとはいかなることかを追求するなら良いが、そうでないと組織としての施設の方針とのミスマッチが生じないのか。あるいは、コミュニティマンとして仕事をすることが正当に評価されるのか。もしされないのであれば、だれもそんなことはしないのではないかと思う。


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