ポストモダンと社会福祉

丸岡和則(2007)「ポストモダンと社会福祉」『関西福祉大学研究紀要』10, 41-49

http://ci.nii.ac.jp/naid/40015498058

PDFなし

 副題は、「批評的ソーシャルワーク論」となっている。

 う~ん、難しいというか、小難しいというか…おおよその近代から現代主流の援助技術系の基礎知識がないと読めないかもしれない。また随所に、主体を巡る哲学の論考も入って読みにくいかと思う。かくいう私も全部理解できたのかと言えば、心許ないが…とりあえず、この論文は、ポストモダンの援助技術系の理論は「主体性」を巡って転回していること。あるいは、批判していることが分かる。

 しかし、読んでも読んでも、じゃぁ、主体(性)って何?となる。この論文はその辺が巧く処理されきっていないように映るし、そもそも「主体」を論じること自体が非常に難しいんだろうなぁって思った。私が腑に落ちた所だけを取り上げると、主体と個人は違う概念である。主体は、個人と社会システムとの接点の一つと捉えるものである。分かりやすく言えば、社会福祉の対象領域としての「主体」とは、個人の社会制度の社会関係の一つとして捉える。当然、個人と切り結ぶ社会制度や社会関係は、社会福祉以外にも多様にあるから、この場合の主体は、個人が社会福祉と関わる一主体と捉えるとする。

  1. 利用者の主体性の尊重とは、利用者が主役となって能動的に解決を図 る役 割と捉えがちである。しかし、ポストモダンでは、利用者が主役になって問題解決を図ることは、「問題解決しなければならない」ことを利用者自らが受け入れ、服従し=主体化し、その意味で主体的に問題解決をすると言うことである。言い換えると、利用者が自らを問題意識を受け入れ、積極的に解決するように、援助者が教えることでもある。
  2. 主体と他者との関係では、近代が描いたように人間存在の基本は、能動的・主体的な自己像を本質とするのではなく、むしろ、名付けられ、呼ばれる受動性こそ鍵があると考える.
  3. こうしたことをまとめると、服従するという主体というメカニズムこそ、国家が支配イデオロギーを再生産させる本質的メカニズムであるといった言説や一斉の可能性を捨て、ただ定められた規範に基づく訓練を馴化へと自らを従属する主体として、制度全体へと自らを規範化させる主体として教育し、自分を自由な主体と思いこんでいる人間にさせているとする指摘は重い。

 おざっぱに言って、主体とは、能動性とか主役と言ったものではなく、そこで生きる個人の有り様と言えそうである。利用者の主体性の尊重とは、これまで援助者主導で規範に当てはめてきたことの反省として使われるが、それでも、その個人の課題の克服という観点から捉えると、さぁ、あなたが主役です。この課題を克服するために努力しましょうということには変わりはなく、その主体性は、課題への従属を前提にしていると考えるべきである。

 じゃぁ、課題の克服をしたくないと利用者が言えばどうなのか。その時点で、「社会福祉における主体」ではなくなるだけなのかもしれない。しかし、問題はそう簡単ではない。利用者は社会福祉システム以外で生きることが困難な状況下にあることが多く、もし社会福祉システムから退出すれば、生きていけないことも考えられる。人は思ったほど、複数の選択肢を持っていないのである。

 と考えると、社会福祉システムを支えている権力者=援助者はどのような振る舞いをすればいいのか。この論文では、とりあえず、援助者としての自己を利用者としての自己に置き換えること。そして、夢や願望を生活の理想に置くのではなく、生活者としての生活問題として捉え直すこととしている。この立場を置き換えること、利用者の下に立つこと=understandといった主張もあり、それはまた別の話になってくるのだろう。


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救護施設→知的障害児施設→通所介護施設(高齢者)と15年以上。これからも思考と体力で、働いていきます。

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