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ホスピスに見る死の分解

服部洋一(2004)「ホスピスに見る死の分解」『死生学研究』 4, 350-374,東京大学グローバルCOEプログラム「死生学の展開と組織化」

http://ci.nii.ac.jp/naid/120000863025

PDFあり

 副題は、終末期ケアの現場への文化人類学からのアプローチ となっている。

 これまで死生学での研究の流れから現在のホスピスにおける死の扱いについて考察している。はじめに死についての考察は、「葬儀」に見るイデオロギーとか資本社会における死の扱いなどを中心に行われてきたと論じている。言い換えると、葬儀に内在する規範、日常への回帰、あるいは残された人々が葬儀を通じてどのようにダメージを軽減するのかといった、生きている我々側の問題として捉えられていた。その一方で、ホスピスはまだ死に至らないが死に逝く過程が間近な人々であり、それを取り巻く医療とか家族とかがどのように介入しているのか。そして、ホスピス当事者がどのように間近に迫る死の中で生きていくのかが問われる。これは、死んでしまった結果から、その後を論じるのではなく、死に逝く人々をどう捉えるか。それは翻って、生をどのように捉えるのかがホスピスでの死の考察となる。簡単に言って、ホスピスの当事者をどう遇するのか。それは、いずれそうなる自分たちの扱いに関わる問題なのである。

 この論題~死を分解するとは…あまり好ましいものではないとイメージになりがちだが、内容を読めば決してそのようなものでもなく…かといって肯定的でもない。事実として、そうであるという意味で捉えると自然であろう。

 論者がアメリカでのホスピスでのフィールドワークを、もともとアメリカの学会で口頭発表したものを日本語で書き起こしたものと言うことで、必ずしも日本の死生観とは若干違うのかもしれない。日本においても臨終間際の人への聞き取り調査やお迎えをめぐる質的研究も散見されており、死を迎えることの蓄積はある。とはいえ、この論文はどちらかといえば当事者以外の死をめぐる取り扱いに焦点を置いて、より広い視点で論じられていた。

 私自身、分からないものをスピリチュアルなものに還元するのではなく、また個別の尊重の名の下で自分だけが特殊であるという陥穽にはまらず、ギリギリの中で考え抜くこと。それが生への豊かさを掘り起こすのではないのかなぁと思う。その意味で、分解という理解のもとで考えること。それは多分、必要なことだと思う。

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救護施設→知的障害児施設→通所介護施設(高齢者)と15年以上。これからも思考と体力で、働いていきます。

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