知的障害者施設の役割と職員の専門性を巡って

保積功一(2008)「知的障害者施設の役割と職員の専門性を巡って」『吉備国際大学社会福祉学部研究紀要 』13, 23-33


http://ci.nii.ac.jp/naid/110006633583


PDFあり


 厳密に言えば、「知的障害者施設」という名称はない。援護施設とか更生施設や授産施設などの名称が知的障害者の後につく。その一方で、知的障害児入所施設ってのも時々論文にみられるけれど、その名称も間違いで、知的障害児施設である。論文であるならば、表題でだいたいその人のレベルが分かるような気がする。とはいえ、この論者はある意味大きく、知的障害児施設も内包して論じているから、知的障害者施設って書いたんだろうと良く解釈しておく。


 論文の斬新性や社会貢献性はあまり見あたらない内容であるが、これまでの知的障害福祉分野、特に施設に関する歴史的なレビューは分かりやすく、そうした福祉施設で働いている人には大まかに把握することができる内容である。昨今、福祉分野~直接的ケアに当たっている知的障害福祉分野の施設職員は、この歴史性が欠如しがちであると思う。その意味では、いまの施設の生い立ちを知ることは、自分たちの立ち位置の確認にもなるかと思う。


 この論文を読んだ動機は、知的障害児施設職員の専門性とはいかなるものかであった。端的に、地域生活支援の連続性のための生活スキルの習得、家族の養育低下や虐待から保護すること、あるいは家族支援である。ともすれば生活支援とは、身体介護や療育だけと捉えられるが、それだけではない広範な理念であることが、まずは確認できたと言ったところか。


 下心に、知的障害児施設における遊びの重要性があるかどうかも確認したが、そこまでは書かれていなかった。視点としては、地域生活の生活スキルとか療育といった「目標」が先にあって、遊びとかそうした実存的なことはあまり注目されていないことも確認できたといえる。もっとも、遊びの実存性と生活スキルの習得の観点で書くには紙幅もあるし、趣旨にはないことも分かっていたけれど。


 最後の論考で地域生活か施設かということが書かれていたが、私は地域で、それも家族に依存することなく生活できるのであれば、それは是非進めるべきだと思う。施設が縮小されたり解体されても、知的障害福祉分野で働いていた職員の必要性は何も減じないし、むしろ専門性がより要求されることになるからである。むしろ危惧するのは、家庭回帰で、無理くり施設から家庭に戻されて、それをもって地域生活とされることに傾斜することである。



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救護施設→知的障害児施設→通所介護施設(高齢者)と15年以上。これからも思考と体力で、働いていきます。

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