日本の知的障害者グループホーム構想にみる「脱施設化」の特質と矛盾

角田慰子(2009)「日本の知的障害者グループホーム構想にみる「脱施設化」の特質と矛盾」『特殊教育学研究』 47(4), 201-212


http://ci.nii.ac.jp/naid/110007619302


PDFあり


 一時期、障害者施設解体論とか脱施設化が流行った時期があった。コロニー解体とそれに伴うグループホームの増設は一時期ブームですらあったし、宮城県知事であった浅野氏はすごく脚光を浴びていた。いま振り返ると、契約制度への移行推進に当たって、旧制度のシンボルとしての社会福祉法人がパターナリズムであるなど諸悪の根源のような扱いを受けていた。ましてやコロニーなどの大規模な施設は標的の的とされた。また財源論(緊縮財政)で、大規模施設による優遇措置は目につきやすかった。とはいえ、悪いことばかりではなく、実際に障害者の生存権や自己実現への援助者の配慮は格段に上がったし、中には地域生活への取り組みが積極的に図られ、知的障害児がライフステージを思い描くときの社会資本やリソースの幅が拡がったことは確かである。


 その一方で地域生活を援助する人々の専門性はいかなるものか。この論文は、地域生活の受け皿としていまも第一線であるグループホームの形成期から現在までを詳しく論述している。この論文一つでグループホームの流れが一目で分かる良いテキストである。施設偏重の理由や、あの浅野知事がどうしてグループホームに固執したのか。そして財源論として、世話人が女性それも資格を持たない人でも良いことになったのか。審議会での意見も踏まえながら、知的障害者が地域生活を営む上で必要とされる生活援助が、いわゆる素人でよいと判断されたのかが臨場感を伴って描かれている。グループホームの生活援助は素人でよいとする特質と、しかし、やはり素人だけでは専門的な判断は難しいだろうと施設がバックアップする(結局、施設解体は無理である)という矛盾を巧く論じている。


 現在は施設も大切だけど、小規模化して地域へ戻しましょうとなっているけれど、果たしてどうなのか。グループホームは生活の場であるが、それだけでは完結することはできない。つまり、日中いかに地域の中で活動するかが問われる。活動として就労などで生活賃金の獲得は割と大きな目標になるが、現在の不況下では作業所も福祉工場も運営が難しいとされる。日中に活動をどうつなげるのかをデザインすることは中年のおばちゃん、それも飯炊きスキルだけでは無理だろうと思う。またそれぞれの障害や個性に応じたコミュニケーションの把握などはある程度の知識が必要であろう。さらに、生活援助とは非常に広範な概念であり、単に家事では捉えられるものではないはずである。



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