<重度知的障害者>とケアの分配について

田中耕一郎(2012)「<重度知的障害者>とケアの分配について」『北星学園大学社会福祉学部北星論集』49, 115-127

http://ci.nii.ac.jp/naid/110008916558

PDFあり

 副題は、『何の平等か』に関する一考察 となっている。

 論者は、日本社会福祉学会の学会誌でも精力的に投稿し、掲載されている一線級の人である。それだけよく考え込まれており、論旨はしっかりとしている。しかし、いま援助技術系での議論、正義論やケアの倫理の取り扱いが分かっていないと敷居が高い内容。でもって、ロールズとセンの理論もある程度押さえておかないと難しい。でもって、ケアの倫理ではレビナスもかすめておかないと…

 逆に言うと、この三人がいま援助技術系では議論の対象になっていることを手がかりに読むとたいていの論文が読めるんじゃないかと思う。昔はアンデルセンだったりフーコーだったりしたんだけどね…

 とにかく昔から社会福祉学は、「ある程度理性があり合理的な判断ができる人」がターゲットになってきたという前提を踏まえることが大事。いやいやじゃぁ認知症は? 生活困窮者は? は合理的だったのかと言えばそうじゃないだろうとなるけれど、それでも自分で判断ができることを前提にしてきた。しかし重度知的障害者は言語もなく行動に一貫性もない。こうした人たちは理性があったのかという残酷さがあった。せいぜい、そういた「人」も生きる価値があるって言うだけで、理性や合理性は不問にしてきた。

 ロールズもセンもその意味で彼らに対する正当な権利の主張はできないという限界点が存在することを明らかにしている。でも人として生きる権利があるとするならば、ケアのあり方が問題になるだろうというのがこの論文の主旨。

 ケアの倫理をまとめた後、正義論とこの倫理は交わることなく推移していることが問題であり、重度知的障害者にとってはどっちも必要とするというのが結論。上手く解説できないけれど、ケアが分配されることは効率とか公平とかそうした地平にはそもそも無い。しかし、ケアが無償のモノであるとするだけならば、重度知的障害者への「適切」なケアが為されているかどうか判断できない。よって、正義論からの公平性や道義的な監視が必要である。その一方で効率とか公平性を推し進めるあまり、合理的でも理性的でもないと放逐されている重度知的障害者の生存はおぼつかなくなる。よって、ケアの倫理による言説がその生の支えになるとするその意見には賛成である。

 ケアを職業としている者にとっては当たり前の話である。しかし、この所作は無意識であり取り立てて考えていないことでもある。その意味で、正義論からとケアの倫理からの言説を意識することは、良き職業人となるのではないだろうか。そこには折り合いとか葛藤とかで表現されるものなのかもしれない。

関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

kuma

Author:kuma
救護施設→知的障害児施設→通所介護施設(高齢者)と15年以上。これからも思考と体力で、働いていきます。

自分のサイトもあります。
kumaの学習ノート

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク