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クロアチアにおける民族問題とセルビア人の地位

材木和雄(2009)「クロアチアにおける民族問題とセルビア人の地位」『IPSHU研究報告シリ-ズ』 42, 118-143,広島大学平和科学研究センター

http://ci.nii.ac.jp/naid/120002753684

PDFあり

 副題は、その歴史的変遷と内戦終結後の問題状況 となっている。

 ボスニア内戦が終結して14年。あるいはクロアチアの内戦では、セルビア人とクロアチア人がお互いに殺し合い、その葛藤とか難民になったセルビア人のこととか、学校教育での違い、人種間の軋轢などをNHKで放送していたことがあった。それがすごく印象に残っていて、CiNiiのBOTでたまたま流れてきたのでそれを拾っていた。それで高速バスで仙台に行く用事があったので溜まっていた論文のいくつかを消化しようとカバンに入れていたのが、この論文だった。

 世界史は苦手で、その流れとかはよく分からなかったけれど、紀元2世紀から現在までのクロアチア人とセルビア人の移動、政治形態や後ろ盾の違い、あるいは入植するに当たっての政治的な意図の違いなどが10ページ足らずでものすごくダイジェストに書かれている。ダイジェストなので、ある意味すごく分かりやすいというか。この論文から分かるのは、人は政治的な生き物であり、自分たちが民族として生きていくためにはどのようなスタンスで、誰に、どのようなプロセスで、政治に関わるのかによって違ってくると言うこと。まさに生存競争のための政治活動というのが良く伝わってくる。

 島国で96%以上が日本人で、日本人による統治されたこの国ではなかなか想像するのが難しい世界である。

 同じ意味で、ジェノサイド(民族浄化)が隣人同士で行われるってのも大陸ならではなんだなと、改めて思った次第。

 セルビア人はクロアチアにあって、内戦前でも12%程度しかいなく、クロアチア人は80%近く住んでいた。にもかかわらず、セルビア人の地位はクロアチア人と同じ待遇を受けていた。これは長い歴史の政治闘争で獲得したモノだと読める。しかし、こうした少数派が多数派と同じか有利な立場を占めると言うことは国際的に良くある。ちょうどイスラム教の宗派で、少数派が多数派よりも高い地位にいる事による反乱はここ数年とみに見られる。そして弾圧と混乱もまた同様である。

 逆に多数派が実権を握り、少数派が抑圧されることもあるが、このパワーバランスをどう観るか。ちょうど、クロアチア人がセルビア人を追い出したようないわゆる民族のうねりのようなモノは歴史的に常に起こりうる問題であることがよく分かった。その意味で、共存とか共栄とかテレビで流される「言葉」は単一国家である日本なんかが想像できないくらい、その意味は遙かに重いんだろうと思う。

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救護施設→知的障害児施設→通所介護施設(高齢者)と15年以上。これからも思考と体力で、働いていきます。

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