差異としての「障害」について

森正司(2001)「差異としての「障害」について」『臨床哲学』3, 102-119,大阪大学大学院研究科臨床哲学研究室

http://ci.nii.ac.jp/naid/120002849547

PDFあり

 副題は、ドゥルーズの差異の哲学を手がかりとして となっている。

 ドゥルーズについてCiNiiで検索をかけて、PDFあるものを片っ端から引き落とした。この論文もその一本。ドゥルーズは社会福祉学ではあまりというかほとんど注目されていない。その意味で、ドゥルーズの差異を障害を軸に考えたもので、社会福祉学にとっては非常に貴重なものである。

 とはいえ、障害の差異については、小泉義之とか立岩信也とかいわゆる生存学とか障害学研究が一歩先を行っていて、しっかりドゥルーズも援用されている。なので、取り立てて新しいことをこの論文で記述されているわけではないが、そうした知見を踏まえながら、トータルにまとめようとした意気込みが伝わる。また、やや詰め込みすぎで整理仕切れていないように映るけれども、障害と健常という区別に潜む、差異とドゥルーズが訴えたかった差異の違いについてかみ砕いて説明している。

 詳しくは本文を読んでもらうとして、健常と障害にある差異は、健常ではないことを区別する上で障害が生まれている。これは通説である。しかし、ドゥルーズの差異は区別ではなく、差異の中に潜む運動に着目している。先に健常と障害の区別は、静的で障害を遮断する。しかし、ドゥルーズは障害と言われる人たちと健常と言われる人たちの中に、比べようもない特異点があり、それが無数にひしめき合って、接続したり繋がったりしている運動の中に差異を見出す。それは、面白いもの、興味深いもの、否定されるもの、忌避されるものが一緒くたに一つの事象の中存在していることを示す。そもそも障害とは何かとか健常とは何かという区別すら、差異の運動の中にぶっ込んで、相対化し、溶解させる。その後に飛び出るのは、生の肯定であった生のエチカ(倫理)である。そのことを描いた上で、しかし現実はそう簡単にはいかないこともしっかりと書いてあり、ではどうすればよいかもささやかに示しつつ、やっぱりまだだよねと書いてある当たりに誠実さが伺えた。

 とまぁ、おおざっぱに書いたけど、後半ちょっと理解できないところがあったりして、私はこんな感じで読んだという感想にしかならない。

 出生前診断とか障害と健常の区別は生の倫理ではよく取り上げられているが、その軸にドゥルーズを取り上げたのは正解ではないかなぁと思う(出生前診断についての記述で、ドゥルーズの骰子(さいころ)の比喩は美しかった)。まだまだ社会福祉学としては取り上げられることの少ない哲学者。これからもっと取り上げられるようになってほしいと思う。

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