「保育」の専門性

小川博久(2011)「「保育」の専門性」『保育学研究』49(1),100-110

http://ci.nii.ac.jp/naid/110008712057

PDFあり

 福祉とは、介護福祉士とかヘルパーを想起するし、少し詳しいと、ケアマネとか社会福祉士を挙げる人がいる。その中で、専門職とは何かと言われれば、多数は介護福祉士の名を挙げるし、福祉系養成校は社会福祉士と答えることが多い。現場では、ケアマネも挙げるだろう。いずれにしろ保育もまた福祉業界の一部であることがあんまり思われない傾向にある。しかし、国家資格としては社会福祉士と介護福祉士、精神保健福祉士と「士」があるが、それ以上保育「士」が多数存在する。この事実を案外知らない場合が多い。

 昔から、保育士とは幼稚園や保育所に勤務していることから固有の職業として認知はされてきている。しかし、ここ最近は、本来、保育ママやベビーシッター、子育て支援など「保育」の専門性を必要とする仕事がある。にもかかわらず、こうした職業では必ずしも「保育士」である必要のない人にも門戸が開かれている。それは、「専門職としての保育」が多様化し、曖昧になってしまうことに対する危機感が論じられている。

 その後、専門職としての成立要件とかプロフェッション(メジャーな専門職)とセミプロフェッション(マイナーな専門職)については、以前に論じたもの(石橋潔(2006)「専門職化によって形成される専門領域と非専門領域」を参照のこと。

 この論文のエッセンスは、

 「保育者」の専門性は、近代社会のシステムの分節化と共に誕生したものであるが、この専門性を生きた問題解決として確立するには、近代の学問の合理主義、実証主義的思考を越えて、現代社会に生きる大人達の中で幼児の実態を把握し、その発達を保証するために既成の諸学問の分節化された枠組みを相対化し、今、幼児が大人達とどういう関わりの中で明らかにし、大人-幼児関係の新たな組み替えを構想し、多面的関係を回復する手だてを構築しなければならない。そして、その上で、自らの実践を対象化、エスノグラフィーの手法で記録化し、省察し、次の実践の修正に役立ていることである。

 この論点に対して、いくつかの疑問がある。子供の世界を異文化としてエスノグラフィーとして描けるのかどうか。確かに、子供にはその時期の独特の世界はある。しかし、「保育」の延長線上に来るべき「教育」があり、その教育の帰結として社会成員としての生産などに従事する「大人」になるという連続性がある。保育学として成立することを念頭に置いた場合、「保育」は来るべき「大人」としての一時期であるに過ぎないのではないか。よって独自の大人と子どもの関係性・独自性を描くことに無理があるのではないか。

 もう一つが、近代の専門職成立の基盤は未だ揺らいではいないこと。やはり、効果が測定できず、実証されないものは専門性を確立できない。また、今のポジションよりも低い職業へと落とし込む(例えば、保育補助など)ものがないと、専門職の地位は得られない。これは、保育以外の社会福祉分野でも同様である。医師が看護師を生み出し、看護師が看護助手や介護員を生み出したように。この視点に立つと、もし専門職として確立するならば、シビアに、下部の職業を創設し、そうした人たちに専門的ではないとされる仕事を押しつけ、裾野を広げ、今の保育士取得者の数を限定しピラミッドを作ることであると思う。

 とまぁ、そんなことを思いつつ、保育にしては珍しく、専門職とは何かを広く取り上げているので、保育者の皆さんには考えるだけの価値がある内容だと思う。

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