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東浩紀の再帰的物語

今枝法之(2006)「東浩紀の再帰的物語」『松山大学論集』18(2), 163-184

http://ci.nii.ac.jp/naid/110006244418

PDFあり

 副題は、動物化するポストモダンと自由について、となっている。

 いわゆる東浩紀のオタク文化を介したポストモダン論に対する批評である。ポストモダンとは大いなる物語~イデオロギーで民衆をコントロールする時代が終わり、個別化と多様性が際だった世界になった。イデオロギーなどの価値観は絶対性を失い、相対的になり、曖昧になり効力を発揮することはなくなった。人々は閉塞的で変わらない世界の中を浮遊して生きている。しかし、イデオロギーの終焉は、個々人が個々人を監視する社会を生み出し、生きていることを管理する見えない権力~生権力が効力を発揮している。そうした、生権力の構造を暴き、人々はどう権力に対抗するべきなのかあるいは、そうした社会の中で生きるとは何かを論じる思想の一群である。

 それがオタク文化と道関係あるのかと言えば、メインのカルチャーと比べオタク文化はサブカルチャーであり、傍流である。この傍流であるという位置づけの中に、メインの文脈を変容させ、より自由に、あるいは、メインの文脈に隠された本質を逆に照射することをねらいとしている。つまり、メインから攻めていっても、メインとは何かを見ることは出来ないが、それから外れたもの~傍流を解釈することで、メインの本質を『観る』ことができるのである。

 東浩紀のサブカルチャーの解釈やそれを耽溺する人々のパーソナリティや価値観の描写は割愛する。この論文では、東浩紀の著書3冊をじっくりと解説しているので、それを参考にすればほぼ内容を理解することができる。それだけ整理され、良くまとめていると思う。私が、共感したのは、その後の論者による批評である。近代化は終わったのかというのが私も共有する問題意識である。確かに、社会主義は崩壊し、グローバリズムが幅を利かせてはいる。個人の嗜好も思想も人それぞれであり、昔ほど社会統制が取れているとも思わない。しかし、人々が共感することや共通意識とか、社会における労働のあり方とかは、個々人の価値観では抗しきれない大きな流れがあるのではないか。大きな物語も修正されながら、再帰的に人々に影響を与えているとする論者の問いはその通りであるといえる。

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救護施設→知的障害児施設→通所介護施設(高齢者)と15年以上。これからも思考と体力で、働いていきます。

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