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表象としての《夕暮れ》

堀家敬嗣(2009)「表象としての《夕暮れ》」『研究論叢. 第3部, 芸術・体育・教育・心理』 59, 303-318,山口大学教育学部

http://ci.nii.ac.jp/naid/120002104339

PDFあり

 この論文は連作で計5作ある。以下紹介するのは、その内の一作目となっている。

 アイドル論として面白い内容。堀ちえみと伊藤つかさが近い時期に夕暮れをタイトルとしてシングルを出していることに着目し、アイドルにとって夕暮れを歌う意味について考察されている。それにとどまらず、アイドル産業の隆盛のメカニズムについても詳しく描かれている。

 最初に夕暮れの意味について、秋は夕暮れと歌った枕草子を引き合いに持ってくるあたりが面白い。結論を言うと、夕暮れという(アイドル)表象には、少女から大人への移ろうイメージ戦略と秋口にシングルを出していたという時期的なものを重ね合わせていたこと。そしてなぜ大人への移行を狙うのかという二人の登場から活動の背景を加味して解釈している。多面的な解釈で読んでいて面白い内容である。構成が良く、夕暮れという表象だけに焦点かするのではなく、その時期のアイドルの戦略を交えながら、それこそ緩やかに転調しながら最後には歌謡曲の意味について美しい箇所がある。

 歌謡曲とは、一つの楽曲を構成する詞と曲が不可逆的な時間の流れに沿って不可分の状態に融合した一体のものとしての音楽であり、その時聴き手には音楽の意味としか言いようのない何かが伝わっているはずである。あるいはむしろ、ここでは当の楽曲そのものが一つの時間の流れとして、これが聞かれる状況となって生きられる。

 それでもなお、歌謡曲は、これが拠って立つ時代の外部でも体験されうる。そうした時間の潮流に囲われる時には、ともすれば悪戯に郷愁を誘うだけの反動的な契機に終始するかもしれない歌謡曲は、けれどもひとたびその背景にある歴史的な文脈から離脱して体験されるだけならば、かつて生きられたそれとは全く異形の相貌を私達に見せることだろう。このような絶えず発見され、更新されるべき歌謡曲の魅力とは、いわば記号としての豊かさの内にある。そして歌謡曲が自らの出来事としての豊かさへと開くのもまた、この記号としての豊かさなのである。

 これは歌謡曲に限らずあらゆる芸術作品に見られることである。

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救護施設→知的障害児施設→通所介護施設(高齢者)と15年以上。これからも思考と体力で、働いていきます。

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