村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」にみられる他者の理解と「対象」

田中雅史(2009)「村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」にみられる他者の理解と「対象」」『甲南大学紀要. 文学編』158, 39-51

http://ci.nii.ac.jp/naid/110007056562

PDFあり

 前エディプス期、エディプス期の葛藤・暴力性という解釈で描かれた文学論。

 う~ん、どうなんだろうか。主人公が理解しようとする他者は、自分自身の内部を通って出会うものと描かれていることには異論はないけれど、他者という異物をどう処理するのかをエディプス期の混乱、あるいは前エディプス期の不安、母性回帰への幻想に当てはまるのだろうか。

 ただそういう考えもあるかなと思えるのが、人々は明確で目に見える光景、あるいは理性と知性で支えられた言語や思考だけではなく、形状しがたいものや自我の統制が出来ない思考や空気、日常的な意味から離脱したモノがあることを感情や感覚で知っている。この小説では「ぐしゃぐしゃ」したものとかうごめく何かと表現されるモノ。そうしたモノをいかに統合させるのか。統合した時、また新たな創造性が生まれると。

 この小説は非常に抽象的で隠喩があちこちに施されていて何通りの読み方も出来るないようである。確かに主人公の内的変容を扱ってもいるし、内的変容がそれぞれの意識の深層に微妙に及ぼしながら、主人公の周りのセカイがまた変容していくような読み方も出来る。私はどちらかといえば、一人の意識の深層が変化した事による日常生活の関係も含めた変容と捉えるので、このような一人称のエディプス期とか母性回帰という読み方は一面的なように映る。ただ、ここで言及しているβ要素とα要素の解釈は面白いと思った。

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