社会福祉現場の人材育成におけるMRIアプローチの活用

岡本晴美(2013)「社会福祉現場の人材育成におけるMRIアプローチの活用」『佛教大学社会福祉学部論集』9,85-98
http://ci.nii.ac.jp/naid/110009556746

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 MRIとは医療機器の事ではなく、Mental Research Instituteという家族療法などに使われる臨床技法らしい。それでこの技法が紹介されているのは、OJTとかOFF-JTなどの研修形式で人材育成がされているが、それだけだと実際にどんな効果があるのか。あるいは本質的に組織にとってどう改善されたかが明確にならないというデメリットがある。このMRIは、組織内での課題を当事者同士が気づき、具体的に改善するための方法として提案されている。OJTが知識の教授や確認には役立つが、実際の取り組みへの気づきや自覚はMRIによってなされるのが理想であろう。
 それでMRIとは何か。論文の記述が非常に抽象的でよく分からなかったが、簡単に言って、組織内での問題は、当事者同士ではなかなか気づくことが出来ない。あるいは、気づいてやっているつもりでも、グルグルと回って何一つ進んでいない。そこで、MRIでは、問題の所在を客観的に捉え、さらに悪循環を引き起こしているシステムを明らかにし、変化を生み出すための計画と設計を実行するというものらしい。
 事例が一つ上がっているが、組織のグループ内で前に進まず、成果も全く上がらず、むしろそのグループに任せるがゆえにマイナスな結果になるっていうことがある。それを個々人の能力のせいにしたり、統率力がないと切り捨てることは簡単である。しかし、MRIでは、確かに過去においてマイナスばっかりだけれども、一回問題を洗い直して仕切り直しをしてみましょうと。その具体的な手順を踏みましょうと、今を問題にしている所が良い。そして組織やグループの主体性を引き出し、周りはサポートをし、皆でそのグループを盛り立てる。そんな組織だと確かに人材は育成されるなと思った。

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社会福祉行政のこれから

畑本祐介(2012)「社会福祉行政のこれから」『山梨県立大学人間福祉学部紀要』7,17-29
http://ci.nii.ac.jp/naid/110009455146

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 副題が、〈社会保険〉化と行政空間の変容 となっている。
 いわゆる、社会福祉サービスの普遍化に伴って、そもそもの福祉の在り方が変わったとか、行政の責任の所在があいまいになったとかそうした批判的なものかと思ったが、案外そうでもなく、歴史的な経緯も踏まえながら割と淡々と記述していた。そのため、事実としてじっくりと読むことが出来、逆に考えることのできる内容であった。
 最初は教科書のおさらいのような内容であるが、しばしば大人になると知ったように思えることも、そうだったなと確認しながら読むことが出る丁寧な概説となっている。50年の勧告とかベバリッジの報告とか三浦文夫の非貨幣ニーズ論とか懐かしい。また実施主体である市町村や福祉事務所の変遷も現在においては使い勝手の良いようにワンストップサービスとして窓口が改変されている事も知ることが出来た。
 その他、介護保険におけるモラルハザードや準市場における弊害などは他の論文でもさんざん言われているので、省略。
 この論文でためになったのは、市町村に権限が移譲になった本質的な意味である。私はずっと単に国や県の責任の後退だろとか介護保険によって高齢者福祉の財源確保、あるいはコストカットのために作り上げたんだろうと思っていた。確かにそうした側面もあると思うけれど、福祉サービスの普遍化から、誰もが使えるサービスを標榜した時、地域の土木インフラなどの広域的な行政対応よりも、基礎自治体が担当してそうした個別的な対応をするのが当然であるという言説も確かであると思った。その後の、ガバナンスの議論や、本質的に、福祉国家は市場の失敗を補う役割があるという根本に返れば、準市場である介護保険が失敗した場合、どのようにフォローするのか。
 そのフォローの枠組みは、公共財の提供、所得再分配、外部不経済(経済的ではない事業など)への対応である。現在も部分的に介護保険でも行われているが、この三つの枠組みで考えるとすっきりするなと思った。例えば、公共財は税金だろうし、所得再分配は費用負担の応能部分など当てはまりそうなのがあるなと。

賃金格差と介護従事者の離職

花岡智恵(2009)「賃金格差と介護従事者の離職」『季刊・社会保障研究』45(3),269-286
http://www.ipss.go.jp/syoushika/bunken/sakuin/kikan/4503.htm

PDFあり
 介護従事者は賃金が低く、そのために離職が高いというのが定説になっている。しかし、それはどのような理由でそうなのかを調査した内容となっている。どのような理由でというのも変な話(賃金が安いから)だが、話はやや込み入っている。確かに福祉職の低賃金は定説だが、職種によって違うんじゃないか。あるいは離職の理由も違うんじゃないかと。
 ヘルパーは登録型のパートタイムが多く、施設系は正規雇用が多く、男性もそこそこいる。地方だと職の選択肢は少ないが、都市部では職がたくさんあって、低賃金でシフトなどの不安定な勤務形態は忌避される。
 この論文では、数式とか全国のパネル調査などを縦横無尽に分析していて、数学が出来ない私にはさっぱりなので、一応、結果だけを信じることにする。その結果、正規雇用されている人は、他の施設などの条件を勘案して、条件が良いところに転職するというスタイルが有意に見られたこと。都市部では、正規雇用の人は他の職種への転職もわりと起こりうる現象として捉えられている。また、昇進や教育訓練も離職を止める要因として重要なことが示唆されている。非正規雇用から正規雇用する事業所への転職も離職率を上げる要因になっている事は分析されているが、厳密にいうと、ヘルパーのパートタイムとか非正規雇用の人たちにとって、賃金格差による離職は証明されなかったということになる。

少子高齢化時代の社会保険制度の展望

安宅川佳之(2010)「少子高齢化時代の社会保険制度の展望」『日本福祉大学経済論集』40,1-32
http://ci.nii.ac.jp/naid/110007576128

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 公的年金保険制度、医療保険制度、介護保険の三保険について、今後2040年までに続く、少子高齢社会の展望について幅広く論じている。すでに団塊の世代が高齢者となり、今後2035年には団塊ジュニアが高齢者になる。仮に出生率が1.3から1.7に改善したとしても人口は減り続け、少子化対策が効果を発揮し、経済財力として生かされたとしても、20年あまりの期間が必要であり、軌道に乗ったとしても30年の労働力化が必要であること。さらに、人口構造が若返りを始めるのは、2043年である。この論文ではあまり触れられていないが、それは団塊・団塊ジュニアという人口の大きな母集団が亡くなって、少なくなった人口でのそれ以後の子供たちだけが残っているというシミュレーションであり、そのころの日本の経済がどうなっているかはだれも想像はできない。一つ言えることは、団塊ジュニアの出生率がそのまま今後の日本の労働力を支えるという意味では、すでに遅きに逸しているのではないかということである。
 この三保険を詳細に論じているが、論旨は、少子化をどうにかしないといけないこと。高齢者の役割がこれまで以上に高まることである。介護保険については、介護事業者の急速な伸びは、結果として収益状況を悪化させ、それが人件費削減、そして低賃金という負のスパイラルが介護人材の不足を招いている事。よって、基準の厳格化など供給量の抑制などを通じて、パイを守るための努力が必要であるとしている。他、自営業が入っている公的年金、第一号保険者も今や、無業者、失業者、学生、非正規雇用、厚生年金未加入企業の従業員が多くしめられ、将来貧困問題を拡大させる要因になっているなど幅広く論じられていてためになる内容であった。

地域包括ケアの推進方法とその構造

加川充浩(2010)「地域包括ケアの推進方法とその構造」『島根大学社会福祉論集』3,1-25
http://ci.nii.ac.jp/naid/110007580070

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 副題は、困難事例解決と社会福祉協議会活動の取り組みを通じて となっている。
 豊富な事例と、分かりやすいジェノグラム・エコマップを使った、多職種の協働について描いている。常々、こうした多職種の人々がどう集まって、どう解決するのか。そもそもどうやって招集するのか興味があったが、読み進められていくと、法的な規定も政策的な誘導もなく、熱意ある機関や人が奔走しながらやっているという。介護保険が施行され、もう10年以上も経つというのに、システムにすらなっていないという。
 それでも困難事例を適時行われているので、その実際について良くまとめている。ケース検討会、社会福祉協議会・包括職員検討会、虐待小委員会など、多職種が集まるところで議題に挙げているようである。実際に働いている人なら当たり前のことだが、そうじゃない人にとってはとっても参考になる実践が多く描かれている。
 また、地域包括ケアが使われたのが、1980年代頃ということや、誰が、どうして、どうやって行われたのかの由来まで書かれている。やっぱり、医者の力ってスゲー、個人の力と知識が、組織を作り、回すって出来るんだなと。ただ、医者とか弁護士って伝統的に革命を担う人たちだからなぁ…それを読むと、これは普通のことだけれど、それを実現するためのシステムとなれば非常に難しい…そんなことを思いながら読ませてもらった。
 困難事例への対処、協働の実際と困難さなどリアルなことが分かる内容となっている。

エイジング・イン・プレイスを果たすための条件に関する一考察

北村育子・永田千鶴(2013)「エイジング・イン・プレイスを果たすための条件に関する一考察」『日本福祉大学社会福祉論集』128,7-22
http://ci.nii.ac.jp/naid/110009557945

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 副題が、小規模多機能事業と認知症グループホームを併設する事業所を対象とした調査の結果から となっている。
 小規模多機能事業とは何か、あるいは認知症グループワークの取り組みを知りたくて読んでみた。いまいち分からない小規模多機能事業、実際に働いてみないと分からないのかもしれないけれど、この論文の最初に書かれている図式は分かりやすかった。
 内容としては、インタビューを元に概念化というかカテゴリーで整理しているが、質的研究なんだろうけれど、M-GTAかKJ法なのかは不明。
論調として、認知症の理解や地域で生活していくこと(看取りも含めて)についての教育が十分に介護員に行われていないとする論調であった。何をいまさらと思うし、だったら具体的な方法などを提案するべきではとも思う。
 いずれにしろ併設もメリットは、同じ利用者に対して同じ職員が切れ目なく関われることにあるという。それは二つの事業所で職員を柔軟に配置できるとか、宿直で職員が足りなくなったら通所から回すとかそういうことが容易であると。その意味で、職員にはそう言う柔軟な組み替えが日常的にあり得ることを説明しないと行けないことが記載されていた。ということは、説明していない事業所もあることを意味している。
また看取りなども十分な教育が施されていないから出来ていないとか…どうも上から目線での論述が多く目立ち、途中で流し読みをしてしまった。結論、人材育成は、こうした小規模多機能事業ほど重要であると言うことだった。
 裏返せば、そうした取り組みがされていないという現状なはずであり、そうしたことを想像しながら読むと丁度良いかと思う。

正義・福祉・愛

河見誠(2012)「正義・福祉・愛」『青山学院女子短期大学紀要』66,15-26
http://ci.nii.ac.jp/naid/40019532121/
PDFあり

 副題は、代理出産から「法の正しさ」を考える となっている。

 論者のスタンスは、代理出産は認められないのではないかと言うことで、代理出産を法的に認めるべきとする立場の人にとってはちょっとどうかなぁと思わないでもない内容である。もちろん、法解釈をめぐる論文なので用意周到に、どっちのスタンスもくみ取って組み立ててはいるが。

 私は代理出産のことはよく分からないけれど、福祉分野でも良く「正義」という言葉が使われる。そして、それに対置する形で「ケアの倫理」が使われる。何でかなぁと思っていたけれど、この論文を読んで少なくても、この「正義」とは何かが分かった。簡単に言って、法的な意味での、あるいは観念的な意味での「正義」とは、一義的に、お互いが自由意志の元で、強制されたモノではなく、取り決めたことであるならば、約束を守りましょう。約束を違えることは不正ですよとする契約概念であること。代理出産でも、ちゃんとした手続きの元で相互了解したのであれば、約束を履行するのが当然であり、心変わりは言い訳にならないのである。第二点が、正義は社会的倫理の最小限の単位でもって支えられていること。社会的倫理とは、例えば、婚姻における生計の維持や与え合う関係、義務など最小の取り決めである。そこに個々人の主観性はあまり問題視されないが、それでも婚姻という契約を維持するための最低限の取り決めが法であり、それが侵されたりした場合は不当にあたり、それは正義(justice)に反する行為なのである。

 そこで福祉にどう関わるかと言えば、現代のソーシャルワークは、利用者へのまなざしが、契約や自由意志の尊重が求められ、社会的に不利益な状態にあるのが、不当な状態…正義に反することとして問題視すること。そして、この不当を改善するために取り組むこと…これが正義の論理である。しかし、それだけではダメな場合がある。利用者に理性的な判断を求めることが困難な場合…重度の知的障害児や精神障害者など、こうした人たちに正義の論理だけでは、その根本的な問題は解決させることが出来ない。

 この論文は、そこに愛を持ってきていたが、近いところで、福祉はケアの倫理を持ち出している。この論文の最後の方で、正義を語る上で、「愛」が「正義」を補うこと、「正義」に「愛」が貫かれること。「善意の愛」を「正義」の基盤とすることを通じて「法の正しさ」を見出そうとする視点は、「愛」を「ケアの倫理」と置き換えても良いと思えた。

 先に書いたように、だからといって代理出産が反対だとか、産んだ側で育った方が子どもは良い人生を送れるかはまた別の話だと思ったが、じっくりと読むと、なるほどと思うところがたくさんあった。

地域包括ケアシステムにおける24時間定期巡回・随時対応型訪問サービスの位置付けと課題

大た賀政昭(2012)「地域包括ケアシステムにおける24時間定期巡回・随時対応型訪問サービスの位置付けと課題」『保健医療科学』61(2),139?147
http://ci.nii.ac.jp/naid/110009575956

PDFあり
 2012年の法改正でどんなことが変化したのかについて調べていたら、24時間の定期巡回とか随時対応の訪問介護・看護のサービスが追加されていた。それでどうやら地域包括ケアシステムというのを推し進めたいという事で、月刊福祉の特集号を読んでいたら、ケアシステムのコアが、この新しいホームヘルプサービスらしい。
 しかし、そもそも包括という言葉が抜けていた、「地域ケアシステム」は介護保険が始まったあたりからある概念である。また、介護保険が基本、日払いであるが、新しいサービスが日払いになじまず、包括払いとなっていたため、それを改正に取り込んで、地域包括としたんじゃないかと邪推してみる。
それはそれとして、この24時間対応の訪問介護、改正前から色々と難しかったんじゃないかなと。まず夜間対応をするための介護人材の確保の問題があったはず。そして、案外夜間のニーズが少なく、採算が取れないこと。包括払い(事業所契約)にすれば、使わなくても払うことになり利用者・家族にとって割高感があった事。
 そんなことを思いながら読み進めていくと、あ、これって従来の介護保険施設が多機能とか複数の事業を展開しつつ、本体がコールセンターの役目を担ってやってほしいんだなと。単体ではかなり無理のある事業じゃないかなと。若しくは、地域間での連携を進めて、フレキシブルに違う事業所へ出動要請をしてほしいんだなと。
 この論文は要件とかシステムとかを詳しく説明していて読みやすい内容となっている。

介護保険制度下のケアマネジメントとレリヴァンス

小坂啓史(2013)「介護保険制度下のケアマネジメントとレリヴァンス」『現代と文化』127,133?145,日本福祉大学福祉社会開発研究所

http://ci.nii.ac.jp/naid/110009577097
PDFあり

 いわゆる日本的ケアマネジメントへの批判的な論文である。レリヴァンスとは、シュッツの概念で、日常で人々が行動する規範には無意識なうちに様々なバイアスがかかっていることを明らかにしたもの。それで、ケアマネも利用者も介護保険の背後にある利用抑制とか費用削減の意図にからめ捕られて、選択する以前にすべてバイアス(抑制・制限)がかかっていることを説明している。
 レリヴァンスを持ち出すのはざん新だったが、説明に無理があるんじゃねと思わないでもなかった。少なくても、概念の説明がよくわからなかった。それでも最後の方に書いてある暫定的な結論は全くその通りと思った。ケアマネジメントの導入そのものよりも、運用と目的が、そもそもケアとは生の全体であるにもかかわらず、提供側と被介護者の非対称性で分割し、提供側が統括可能な形でケアを読み替え、被介護者がカッコつきで選択させられているという現状。つまり、介護サービスをマネジメントするのではなく、受けたいとする被介護者を統制している事。制度のために人々をいわば枠づけしていくこと。社会福祉理念から遠ざけ、社会構造の維持を第一義としていることを明らかにしている。それは大きく敷衍していけば、社会的排除の問題群に行きつくことは容易に想像できる。

介護保険施設サービスにおけるチームマネジメントとその課題

村田麻紀子(2013)「介護保険施設サービスにおけるチームマネジメントとその課題」『佛教大学大学院 社会福祉学研究篇』41,63-80
http://ci.nii.ac.jp/naid/110009556740

PDFあり
 特に介護員の在り方について詳しく描かれている。特に、介護保険施行前の寮母と言われていた時代の介護員として求められることなどを比較しており、介護保険以前のことがわからない人にとっては、そうなんだ…と思うことが多々あろうかと思う。またこの論者は、いくつかの介護保険施設で勤務しており、その施設の構造上の課題とかユニットでも使い勝手の悪い部分があること等体験を通じた論述で説得力のある内容となっている。隣の芝は青いという例えもあるように、その場その場での課題はあるものだなと。

 また、キャリアパスについての指摘も的確で、介護員で居続けるには、キャリアパス・アップの見通しがないこと。また、どのようなスキルを身に着けていけばいいのかが不透明で、結局、ケアマネの資格を取るとか生活相談員になるとか、管理者になるのがキャリアアップだと思わざるを得ない現状について論じていて、あぁ、だからみんなケアマネ取りたがるんだなと。
 良い仕事をし続けたい、あるいは良い介護を提供し続けたいとするならば、自己研鑚するに値する「学び」があること。到達するべきスキルがあること(そのコアになるのがチームアプローチでの指導的側面だろうと思う)。そして、そのことで利用者により良いサービスが提供され、喜ばれること。それこそが、介護員の専門性だと思うし、たぶん論者もそれを言いたかっただろうと思う。ただ、大学院生としては、ケアマネをとることや管理者を目指すことまでは否定できなかったんだろうと勝手に推測した。
 新しい理論の注入過程やどのような介護が目指されるべきかの実際の変化まで詳しく書かれており、介護員の方にはとても参考になる内容である。

ウイグル社会の民族宗教におけるタブーとジェンダー

藤山正二郎(2006)「ウイグル社会の民俗宗教におけるタブーとジェンダー」『福岡県立大学人間社会学部紀要』14(2),1-13
http://ci.nii.ac.jp/naid/110008605645

PDFあり
 暗黙知あるいは実践知についてCiNiiで検索していたら引っかかった論文。まだコーティングして削除する前のリストで、まぁ、たまに気色の変わったものでも読んでみるかと落としてみた。

 ウイグルはイスラム教であるし、あまり他の宗教に対して寛容ではないとの事。そのため、イスラムの教え以外の習俗や俗信は認められていないが、歴史的にもイスラム以前、あるいは様々な事情でイスラム教以外の宗教が存在していた。その名残がどのような形で日常生活の規範になっているかをひたすら記述している。その中でも特に女性に対する習慣を取り上げている。女性のシンボリズムである、かまど、火、結婚、水に関する決まり事から曜日、奇数・偶数、右・左のシンボルなど例えば、遺体への死装束の回数は男性で3回、女性は5回と奇数であるとか…国が変わればジンクスも変わるそんなことを思いながら読んだ。最後に、聖母信仰の逸話なども興味深かった。

診療報酬・介護報酬同時改定の動向からみた地域包括ケアシステムの推進

堀裕行(2012)「診療報酬・介護報酬同時改定の動向からみた地域包括ケアシステムの推進」『保健医療科学』61(2),75-82
http://ci.nii.ac.jp/naid/110009575877

PDFあり
 今回の改定についてかなり総合的な説明となっており、全体的な俯瞰としては過不足なく知ることが出来る内容となっている。改めて、地域包括ケアシステムの定義をあげておくと、
 ニーズに応じた住宅が提供されることを基本としたうえで、生活上の安全・安心・健康を確保するために、医療や介護のみならず、福祉サービスを含めた様々な生活支援サービスが日常生活の場(日常生活圏域)で適切に提供できるような地域の体制と定義され、概ね30分以内に必要なサービスが提供される圏域として、中学校区程度の範囲を想定している。
 逆に言うと、こうしたサービスが全くされていないのが現状で、要介護度が上がるにつれて施設や病院に行くし、通所系のサービスは医療行為が行えないところが多いし、ショートも緊急対応できないし、特養ですら一定以上の医療行為が必要になれば病院に行くし、老健は在宅復帰の取り組みが出来ているのかが疑問である。
 この論文では、新しく立ち上がったサービスやこれまでのサービスの状態を簡潔ながらもしっかりと書いているため、教科書にはない情報を得ることが出来る。例えば、小規模多機能型居宅介護は当初平均要介護度3.5を予定していたが、実際は2.63と軽度であり、その理由として医療ニーズの高い利用者を受け入れていない(理由)等。総体的な知識を得るには良い内容である。

 同じような総括的な説明として、

山田亮一(2013)「少子高齢人口減少社会と介護保険」『高田短期大学紀要』31,37?47
http://ci.nii.ac.jp/naid/110009561639

PDFあり
 こちらは認知症のケアサービスについて堀よりも若干詳しく論じている。また各種サービスの要件なども堀よりもすっきりとまとめており、併せて読むとより理解が深まるようになっていると思う。

「介護の社会化」と介護保険制度

中野いずみ(2011)「「介護の社会化」と介護保険制度」『静岡福祉大学紀要』7,53-54

http://www.suw.ac.jp/news/docs/0022_6_P053%EF%BD%9E.pdf

PDFあり
 介護保険は、家族介護から介護は社会全体で担うべきとする発想で始まったはずである。しかし、いまだに家族介護に頼り、限定的にしか社会が行っていないのではないか。こうしたことを述べている内容である。何をいまさらと思うが、今後一人暮らしの人や老老介護の増加、人口減少によって、女性の労働力がますます必要になってくる以上、この家族介護をどうするかについて話し合っていく必要がある。百歩譲って、家族での介護もやぶさかではないとしても、それによって介護者が社会的に孤立したり、今まで積み上げてきた社会的地位をはく奪されるような状態は早急に改善する必要がある。しかし、それすらも手つかずな状態である。また、施設入所にしても優先順位が、家族がいるだけで下がっているとか、そろそろ無償の同居家族による介護を社会的に評価する仕組みがあってもいいのではないかと思う。

 論述が途中であり、未完な状態であるが、経済学の視点で、家族介護による経済的な損失や心身の負担感については、

小椋正立・墨昌芳(2012)「日本の介護保険制度は何をもたらしたのか?」1-18
http://ideas.repec.org/p/hit/cisdps/545.html

PDFあり
 詳しく論じている。海外でも家族介護は問題視されており、今後、産業にとって女性の労働力は欠かせないことを考えれば、無償の家族介護愛だけでは済まされない問題だし、家族のいない高齢者も増えていくことを考えれば、在宅での生き方自体をデザインしていくことが求められると言える。

高齢者福祉実践者の「実践知」形成過程に関する仮説的研究

齋藤征人(2011)「高齢者福祉実践者の「実践知」形成過程に関する仮説的研究」『帯広大谷短期大学紀要』48,55-68
http://ci.nii.ac.jp/naid/110008712515

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 継続研究に一環で、前に社会福祉士については、このブログでも取り上げたが、他、精神保健福祉分野もある。これはまた後日挙げてみようかと思う。M-GTAによる質的研究で、生の声を整然と概念化しているので、ある意味(M-GTAの約束事を了解すれば)読みやすい内容である。

 あえて注文を付けるとすれば、調査対象の介護員で、ヘルパーと特養では組織的な実践知の形成過程が違うのではないかということであるが、その点はどうだったのか気になるところである。また高齢者福祉実践というカテゴリー自体も広範であり、果たして4つのサービスで良かったのかも気になるところである。ぶんちゃけ、特養だけとかヘルパーだけってのでもよかったんじゃないかと思うが。
ただ、特養の実践知とかは看護師による先行研究もあるので、こうした介護員の違ったサービスを横断して、それでも共通項を見出したことは新しい視点だったと思う。
 実践知形成に関しては、多様な形成過程があることがわかるが、学問からの比較だけではなく、組織内での取り組み、同僚、先輩、そして利用者からの学びなど多種多様な回路を通じて形成していくことが分かりやすく、論じられている。他者からの承認は労働上最も基本的な欲望の一つであるとも言われている。その意味で、様々な試行錯誤が認められ、試すことが出来、そしてやったことが仲間からフィードバックされるという開かれた環境が実践知の形成に繋がっているという考察は全くその通りだと思う。それがどのような施設全体の実践知形成になるのか。それも知りたいなぁと思った。

介護保険制度の12年・その主要な改革と変容(上・下)

石橋敏郎・今任啓治(2012・2013)「介護保険制度の12年・その主要な改革と変容(上・下)」『アドミニストレーション』19(1),19(2),62-88,22-40,熊本県立大学
http://ci.nii.ac.jp/naid/110009555428

http://ci.nii.ac.jp/naid/110009555435

PDFあり
 これまでの介護保険制度を総括している力作である。論点は多様にあるけれど、要するに介護保険は保険法であり、それは金銭給付法である。なのに、地域包括ケアシステムとかそうしたシステムを盛り込んだりするのは法律上おかしいだろう。あるいは、普遍原理で応益負担を原則にしているのに、補足給付で低所得者に減免を盛り込んでいる時点で、保険でもなく、それは社会福祉行政だろうと。なのに、公的責任が後退していて、かと思えば権限が強くなったりと矛盾だらけで破たんしていないか?という問題意識である。
 なにしろ40ページを超える内容で、法律についてもかなり深いところまで解釈をしているので普段法律を読んでいない私としては骨が折れる作業であったが、読み込むとこれはかなり勉強になる内容である。といっても、資格取得とかレポートを書くための資料としてはまったく使えないが。
 (上)の方は、途中から特別養護老人ホームの多床室とかユニットケアについて多くのページが割かれており、補足給付についてかなり批判的な内容となっている。なぜ入所する時に世帯分離をするのか。低所得者がほとんどなのに、なぜ費用徴収で食費と居住費が全額負担なのか。いまや施設側での選択、逆選択になっている現状などをこれでもかと執拗に描いている。後半は、介護予防・日常生活支援総合事業への批判。決定権がなぜか利用者ではなく、最終的には包括や市町村がサービスを決定するという事で、措置時代に回帰していることを指弾している。
 私も同感だと思うのが、小括で書いている、あくまでも介護保険は、要介護という生活事故に遭遇したものに、事後的に自立支援のための給付を行う制度であり、要介護状態という事故が発生していないのに、介護保険財源から予防のための給付を行う(たとえば、地域支援事業は介護保険財源の3%内の予算で行われる)ことについて、すっきりした説明を行うのは難しい事。補足給付も低所得者に対する援助であるため、介護保険制度がカバーすべき範疇ではない。そうした範疇にはない、福祉行政はちゃんと切り離したうえで、公的責任において施行する。それが本来の高齢者福祉ではないかと思う。
 (下)では、地域包括ケアシステムについての批判的な検討だった。その上、精緻に制度での決定事項についての賛否両論併記の箇所まで記述しており、また市町村の介護保険事業計画では、サービス供給量予測計画を努力義務にしたことに触れ、確かに悪い事ではないが、介護保険法では、市町村は利用者の支払った介護費用の支払い分を後で償還払いする義務を負っているにすぎないのに、こうした供給量の予測計画まで義務付けられるのはおかしいし、根拠法として介護保険法なのか?という論点で指摘している。
 いずれにしろ、介護保険の法的仕組みや矛盾点をしっかりと書くとこうなりますよという見本のような論文で、介護保険についてある程度知っている人ならばじっくりと読んでみてほしい内容である。

Mother/Girl-母なる少女

吉田明子(2000)「Mother/Girl-母なる少女」『女性学評論 』14, 201-224, 神戸女学院大学   
http://ci.nii.ac.jp/naid/110008798280

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 副題が、『美少女戦士セーラームーン』にみる通過儀礼 となっている。

 一時期、サブカル系の論文を漁っていて、読まないまま放置していたけれど、息抜きで読んでみた。この紀要だけなのかそれとも論文賞というのが学内にあるのかわからないけれど、『最優秀賞論文』と太字で書かれていて、セーラームーンで最優秀賞?!と思ったものだった。
 中身の方は、かなりこなれた文章で、余裕すら感じさせられ、ところどころに引用されるセリフにクスッとしたり。また、構成も用意周到で、ちゃんと伏線が回収されている。読み物としては、とっても面白く読ませてもらった。論旨としては、セーラームーンは少女という明治以降に作られた、女性像、母性よりも消費、あるいは母というよりも、女性として付加価値をつけられた商品を下敷きにしていること。しかし、女性として成長するために、あるいは少女の通過儀礼として、分離、最初の夫の殺害、移行期、そして再統合という過程を経ることを昔話の原型から読み解いている。
 しかもセーラームーンの特徴は、夫となる男性を獲得するとか、通過儀礼後に何らかの成長をするというよりも、消費という欲望と永遠に戦い続ける点である。つまり永遠の少女としてセーラームーンが描かれているのである。つまり、消費の通過儀礼を執拗に繰り返すことで、儀式の儀式化つまり、儀式自体を無化させていくことで、少女であり続けることを描いていると解釈している。
 スケバン刑事(デカ)の解釈など随所にやっぱりクスッと笑える箇所が満載で一気に読むことが出来た。さすが、最優秀論文賞である。

国際レベルで活躍したハンドボール選手における実践知の獲得過程に関する事例研究

曾田宏・坂井和明(2008)「国際レベルで活躍したハンドボール選手における実践知の獲得過程に関する事例研究」『武蔵川女子大紀要(人文・社会科学)』56,69-76
http://ci.nii.ac.jp/naid/110008087714

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 一流と言われる人にはその人が培ったスキル、あるいはコツのようなものがある。その内実について、聞き取り調査をしたもの。一流選手のこだわりやコツについて、それがどのように身に着けていったのかはわりとテレビでも見ることが出来る。この論文も一人の元選手から高校時代、そのテクニックを身に着けた瞬間、そしてそのテクニックに内在する効果について描かれている。

 面白いのが、最初は漠然として、どう動かしたらいいのかわからないレベルから、ある時、ある一瞬のプレイによって、たちどころに理解した瞬間があること。しかし、その後、プレイスタイルとかチームの戦術によって、一旦そのテクニックが全く消失したこと。しかし、その後、またそのテクニックが使える上、さらにレベルアップしたことなどが会話形式で読んでいて面白かった。
 コツとの出会いの瞬間は、偶然に、突然に、一気にやってくるという感覚。運動の習熟によって自動化すれば良かったが、運動経過が鋳型化して機械的になったため、そのテクニックが使えなくなった事。そして、再びそのテクニックを獲得した時、他者とのかかわりの中で、自ら動くのになんらの心身の束縛も障害もなく、まったく思うままに動いてすべて理にかなっているという、運動感覚身体の織りなす技の最高の位相に到達したと結んでいる。
短い論文だけれども、おもしろくそして考えさせられた内容だった。

地域包括ケアシステムの構築における今後の検討のための論点

田中滋:座長(2013)「地域包括ケアシステムの構築における今後の検討のための論点」『持続可能な介護保険制度及び地域包括ケアシステムのあり方に関する調査研究事業報告書』三菱UFJリサーチ&コンサルティング
http://www.murc.jp/thinktank/rc/public_report/public_report_detail/koukai_130423

PDFあり

 ツイッターで流れていた報告書。最初にパラパラッと読んでやめていたが、地域包括ケアシステムについて調べている中で一応全部読んだ。

たぶんこの報告書が、今回の改正に深くかかわっていたと思われるし、たぶん、この報告書を下敷きに27年からの介護保険事業計画の計画期間の重要参考資料になるんだろうと思う。基本理念は、自助、互助、公助、共助のレベルと社会的にどう包括して行うのかの理念的な内容となっている。ケアシステムは、介護、医療、予防、生活支援サービス、住まいの5つの要素であることはすでに2012年の改定で明らかであるが、それをどう考えたらよいのか、一般市民にもわかるように説明している。
 たぶん今後強調されるのは、互助、報酬を問わず近隣の市民による助け合いとかボランティアの活用などである。また、自助でも、従来の経済的な自立とかだけではなく、そもそも要支援・要介護認定ではない被保険者が多数いて、そうした人々の「活用」も視野に入れた「支えあい」が求められていくのだろうと思う。実際に地域包括ケアシステムを構築するために…の一番最初が、地域のすべての住民、自助の主体としての高齢者、担い手としての高齢者の社会参加である。気になったのが、在宅サービスの三本柱で、ヘルパーとショートが一ページ程度の指摘だが、デイに関しては3ページ近く割いており、しかも報酬単価を下げるべきであるとする視点での論述が目立った。介護費用の財政的負担削減の的になっており、今後注視する必要がある。
分かりやすい内容でサクサクと読める。

プロフィール

kuma

Author:kuma
救護施設→知的障害児施設→通所介護施設(高齢者)と15年以上。これからも思考と体力で、働いていきます。

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