認知症関連1

 参考にした文献は15本。

 これらの共通するのは、認知症をどう理解するかである。そして、心理学的に認知症の人を把握するものと介助者側の認識のあり方に分かれる。当然これらは地続きであり、認知症の心理をよりよく知ることによって介助者側の行為の落としどころが得られるわけである。認知症今回は前者の心理学的把握についてとりあえず挙げておく。


 認知症の心理学的把握は、主に語りによって分析されており、一つはナラティブ、もう一つが回想法である。ナラティブ分析では野村上田の研究がある。

 野村はかなり綿密にナラティブ分析の枠組みを設定しており、一人の女性高齢者の語りからライフストーリーを掘り起し、時間的一貫性、因果的一貫性、主題的一貫性、状況的一貫性と枠組みを再構成してその人の語りの多面性を浮き彫りにしている。こうした分析の帰結がその高齢者の生の有意味性を明らかにすることであるとする主張は正鵠を得ている。読む人を選ぶがナラティブの手法を学ぶ上では優れた研究である。

 上田は、入所時に76年間の過去歴がない状態で入ってきた女性高齢者の過去を親戚から行動観察までを含めて過去を掘り起し、その人を理解しようとした内容である。問題行動の裏にはそれなりの理由がある。それを過去から学び、知ることの重要性を分析によって明らかにしている。実質8ページで非常に読みやすい内容となっている。


 回想法に関しては、森園西川田高らが研究している。

 森園は厳密には回想法というよりも過去を語る回数や内容に着目した研究である。因子分析からt検定まで統計手法に関してはからっきしなので結論から言えば、否定的過去も肯定的過去も語る頻度に差は見られなかったこと。また過去をポジティブに捉えている人は過去のことをあまり語らないという傾向がある。逆に否定的なことを語って受容されることで今をポジティブに生きているという結果などが示されていた。

 田高らは認知症高齢者の回想法の意義について海外文献を通じて検討している。海外の研究動向がこうした日本語で一覧として読めるのは実に地道な作業でありその意味で労作である。一概に回想法といっても多様なアプローチや支店があるものでそうした意味でもテキストでは学べない回想法の俯瞰図となっている。

 西川は田高が海外の回想法の文献レビューであるのに対し、回想法とは何かを概説した内容となっている。回想法の成立から意味、意義、高齢者とケアそして回想法の有効性などを論述しており、一つの読み物として良い内容である。特に福祉職にとって点数とか業務とは別に、高齢者の回想、あるいは認知症が時折語る言葉や物語に耳を傾けることで利用者の主体性や個性、そして生きてきたことへのまなざしを得ることが出来ること等を論じている。特に認知症は言語によるコミュニケーションが喪失しており、時々登場するキーワードに耳を傾け話を広げることはその人にとって貴重な生活支援になる。


 その他、近いところでは山根が認知症が話す内容や発話や発話を埋める「え~」とか「あ~」といった発声の頻度を調べた面白研究をしている。こうした会話分析はメディア関係で行われるが、山根は言語分析から認知症の評価を単なる知能検査や筆記検査ではとらえきれないものがあるのではないかという仮説の下で行っている。先行研究のレビューもしっかりしており参考になる。こうした言語分析にはある一定の基礎知識、接続語やフィラーなどの理解が必要であるが、知能検査や筆記テストで物怖じする対象に対し、言葉や会話のレベルに応じて、どの程度の認知症なのかあるいは脳血管なのかアルツハイマーなのかと仮説を立てることが出来る。もちろん、言語分析はきっかけに過ぎず多面的にテストをする必要があるのは言うまでもない。

 より広範に心理的なアプローチを概説しているのが上原である。障害の把握からアセスメントシートの作成、心理劇のプログラムシートなど一連の心理的アプローチを実際を基に紹介している。心理学的グループワークの見本のような内容である。思うに、その人を理解しようとすること笑顔を引き出そうとすること。そうした行為の中にある限り、その人が増悪することはあまりないということだろうか。

 また山戸は最近提唱されているパーソンセンタードケアについて簡単に紹介している。そのうえで、介護実習とか介護教育では必ずしもこの考えに立脚した取り組みがされた施設で実習するとは限らないこと。しかし、こうした理念を伝えることで見方を知る重要性を提起している。ところで副題にあった心理学の視点とは、このアプローチが間断なく持続的に行われることで(利用者:認知症の高齢者の)心理的ニーズが満たされ始めるという一節にあるようである。


 心理学的な所見では長谷川式などある一定のスケール(枠組み・評価枠)があるし、医学の進歩でどの程度の認知症なのかの判断も出来る。しかし、認知症の行動や心理面には多様性があり、また日常生活での出来る・出来ないのレベルも違う。その意味で、山根の言語分析はある意味日常に根ざした評価枠であり興味のあることである。

 研究の方向として、現代の流行はナラティブであるが、本来ナラティブは語られない別の物語を掘り起こして、前向きに生きる言葉を見つけることである。その意味で認知症の後期高齢者にとって有効な援助スキルなのか…むしろ回想法と行動分析による問題行動の減少などを主眼とした取り組みが必要な気がする。


野村と田高は有料PDF。他な無料PDF。


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看取り・終末期ケア

 参考文献7本。

 いわゆる看取り・ターミナルケア・ホスピスなど死にかかわる考察を中心にまとめてみた。当然のことながら死を看取るという行為は、家族以上に看護職がもっとも多くそうした論考も蓄積があることがうかがえる。また介護保険での「看取り介護加算」なるものがあり、そうした論考もある。


 介護保険施設での看取りに関する総合的な文献を網羅したのが、小林である。36本の論文を抽出し、施設としての取り組み、看護師の実践とその際に感じる困難、終末期における倫理的意思決定、介護保険施設で働く看護師の認識、施設における医療処置と死亡の実態とカテゴライズしている。そのほとんどを参考文献と挙げておりこの手の研究をする上での良い指針となっている。またカテゴライズのほか簡単にレビューをしており丁寧な内容となっている。


 特養やグループホームでの「看取り介護加算」、療養型老人保健施設の「ターミナル加算」、老人保健施設「ターミナルケア加算」に関しての説明義務、それに伴う遺族のグルーフケアの必要性について、中野が少人数での調査を行っている。介護員にとってグリーフケアという言葉や内容、取り組みについて非常に認知度が低いことが明らかになっている。


 職員サイドの終末期ケアの必要性については、佐藤原田が考察している。佐藤は、介護保険施設と知的障碍者施設職員の終末期ケアの意識調査を行っている。2006年の介護保険法改正によって末期がん患者へのサービス提供が可能になった(介護報酬が加算された)事などに触れ、当事者の死のプロセスに福祉専門職が関わることが明記されたことに関連する。223票の高齢者施設と264票の障碍者施設からのアンケート調査。因子分析から終末期に関する心理的な種類が分類されている。当然のことながら障碍者施設では終末期に対する意識は低い。内容としては読みやすく因子分析の結果もうなずける記述となっている。関連して末期がんの患者への対応として、原田はCMが在宅ホスピスをサービスと提供することで困難と思うことについて調査している。末期がんは退院時にケアプラン、医療依存度が高く、短期間で作成する必要があるため介護職のCMは医療への理解度が低く困難性が高いことが指摘されている。原田は、さらにこの上に立ってチームの連携の困難さに焦点を当てて考察している。質問票からの自由記載をカテゴライズしたものでよく整理されている。結果として、まだ末期がん患者へのチームアプローチや介護部門の介入が日が浅く、経験を積みながら学習していくことの必要性を提示している。

 看護師が患者と死について語る時の関係性について内布が調査をしている。死をめぐる戸惑いや躊躇の背景にあることを事例研究やベテランとのグループセッションによって明らかにしている。事例研究のお手本のような内容で、M-GTAなどを駆使しながらわかりやすくカテゴライズしている。看護系はこうしたカテゴライズが好きなのかな?結果として、「会話の範囲・了解」、「コミュニケーション技術」、「関係性」それぞれにバリアがあることが詳細に分析されている。


 面白いところで亡くなる数日前いわゆる臨死体験を個人が語った内容を調査した文献では諸岡らがある。もちろん故人が直接話したわけではなく、それを聞いた遺族からの聞き取りである。宗教体験とかそうしたものを丹念に取り上げていて非常に考えさせられる。最後の方で、臨死体験を語る故人を妄想とかせん妄と片づけるのではなく、そうした体験は看取った人にとって改めて故人と向き合うための「よすが」としてかけがえのないものであると捉えるべきである。


 最後に高齢者自身が介護施設でお迎えを待つことについて実際に調査したのが、牛田らである。先行研究から看取りに関する課題~体制の未確立も検討しておりおおよその見取り体制について知れる内容となっている。事例も交えながら高齢者自身の生の声を収めているだけでもユニークな研究である。ストーリーラインとして、お迎えを待つことは日常的なことであり、日常の心境、心境に至る基盤、家族への期待、自分を大切にする、人を気遣う、自尊心の喪失、生活史の一部に位置づけなおしていることがわかっている。内容として非常にわかりやすく示唆の富む内容となっている。


 人の死は遠ざけられ、脱臭されている中で高齢者~介護保険施設では死は常に日常の中にあることである。その意味で、死に逝く人たちをどう尊厳を持って接するのか。個体としての死とどう向き合うのか。死の間際までいることの多い介護員にとって避けて通れない問いであるはずなのにあまりに参考文献も少なく議論にもならない。その意味で、今ひとつ死を語ることの必要性を感じる。

 今回参考に挙げた中でも、諸岡らや牛田らの研究のような蓄積を通じてよりリアルな死を知る契機が必要であろう。


 内布はPDFなし。他は無料PDFあり



介護事故・虐待関係

 参考にした文献は7本。

 虐待に限らず、広義にはその人の尊厳や人権が守られるとは何か。在宅で暮らすとは、施設に入るとはといったその人の存在意義にかかわる問いかけがも含まれると考える。それは、高齢者に限らず、貧困、障碍者、児童問わず、より普遍的には健常者であっても「その人らしく生きることとは何か」といった社会学・哲学的な問いを含意する必要がある。中でも虐待や人権・尊厳として問う内容として一応セレクトした。


 介護事故に関する論文は永和が調査している。もともと外部にどのくらいの介護事故があるのかが不明であり、漏れることがあまりない。また極端に件数が少ないのはそもそも厚労省が明確な基準や範囲、報告の手順がなんらとられていないという国の怠慢に起因するとする視点で、情報公開制度を利用して筆者が松山市の介護事故報告書537件を対象に事故の分類や分析を行っている。とにかく詳しく調査されており、事故の分類も過失事故(介護ミス)、介護の基本知識と技術に欠如、注意義務違反に問われる死亡事故、安全保持の基本や危機回避措置を怠った事故と指弾されている。介護現場で働く人たちは、そこから学ぶべきことが多い内容となっている。


 高齢者虐待に関しては、結城らが文献研究として大まかに研究の方向性について調査している。ここでだいたいの流れを読むことが出来、丁寧に参考文献が多数のせられているのでこれを起点にしていけばよいと考える。とはいえ、高齢者虐待は介入することが難しく実態把握はまだ尾がついたばかりであること。そのため危機介入のシステムや支援の具体的な理論化は出来ていない。実践の積み上げと考察・分析の重要性を訴えている。

 高齢者福祉施設での虐待について、大井川が二つの判例を基に考察をしている。どちらかといえば、虐待事案を内部告白したり、虐待防止の取り組みを推進していたら邪魔者扱いを受けて論旨解雇されたという組織的な圧力や虐待を生み出す構造について分析している。よくよく読んでいくと虐待などの不法行為をどのように告発していくか。あるいは組織内葛藤や通告・通報者の孤立、組織風土への提言などが含まれている。これは労働問題にも応用できそうである。

 逆に利用者から介護者が暴力を受けている事についての調査として中野らがいる。このような利用者からの暴力は介護員にとってかなりのストレスとなることを明らかにしている。この手は看護ではセクハラやパワハラなどとしての研究の蓄積がある。しかし介護では暴力を振るわれるのは職員側のせいであるとする見方が強く十分にされていない。暴言、暴力、性的発言、性的行為など利用者の疾病に起因しているのではとか、個人的要因として自分の中での問題として内包していることが明らかになっている。


 虐待等ではないが、施設の持つ管理性による権利侵害や権利尊重が損なわれている事の考察は、田川がしている。または在宅生活での知らず知らずのうちに高齢者の人権が損なわれていることについて羽入が論考している。ともにかなりの労作で、非常に参考になる論文である。田川は87時間の参与観察を通じて意思を表明できる高齢者に対して集団的な流れの中でその意思を十分にかなえることが難しい介護施設の現状を明らかにしている。利用者からと職員からのインタビューと客観的な整理で非常に読みやすく、一考に値する。羽入は、自分が在宅介護支援センターでの勤務で得た事例2例を引き合いに、家族も福祉関係者もその利用者の尊厳や自己決定権をないがしろにしていることを考察している。とにかく詳細なケース記録の記述に唸る内容である。行政のたらいまわし、家族の関心を装った無関心考えることが多い内容である。


 その他介護殺人を行った人の動機や加害者の特徴などの判例や新聞、警視庁の統計などを効果的に配置して介護殺人の実態を論述したのが湯原である。確かに介護者による殺人は罪ではあるが、中には被介護者が殺して、死にたいと毎日繰り返す中で介護者が追い詰められたケースもあり細やかに行えば行うほど介護者も被介護者も追いつめられるという現状を明らかにしている。とにかく判例が整理されているが非常に重たい内容である。その一方で、介護者が事件を思いとどまらせることが出来た理由などもまとめており、希望のある内容ともなっている。ちゃんと読むと、ちょっとジ~ンとくる内容である。


 総じて、虐待や介護殺人の調査はプライバシーの問題もありなかなか進まないのが実態のようである。それでもこうしたなぜ虐待が起きるのか、あるいは介護殺人が起こるのかの研究は人の根源に関わるだけにより深められるべきである。

 研究の方向性としては、湯原や田川のような実態を照らし出す研究が推し進められることで蓄積されていくことが大事で、まだまだ資料が足りないのが現状である。


大井川、羽入はPDFなし。他は無料PDFあり




ケアマネジメント・地域包括関連

ケアマネジメントに関する参考文献は19本。内、地域包括と題するものは4本。

以下混乱するので、若干の整理をすると、援助技術としてのケアマネジメントは、表記のままにして、介護保険下で行われている職業としてのケアマネジャーはCMと略すこととする。


ケアマネジメントを論じる中で大きく分類すると、

  1. ケアマネジメントの原理原則(そもそもケアマネジメントとは何か)
  2. CMの役割や業務範囲、仕事のしかた(利用者との援助関係)
  3. 利用者特に高齢者への対象認識に大別される。


 CMの業務とは何かについて、伊藤は、2003年~2005年の介護保険改正時期の制度としての方向性を加味しながら、CMのあり方を検討している。CMの業務は従来から給付管理に多くの時間が取られ、本来の利用者ニーズへのサポートがされていない。または担当者会議が開催されない。他職種との連携したプラン作成がされないといったことが問題視されていた。2005年の改正としてCMの報酬基準を分かりやすく解説し、ケースロードの多さが今回の改正でかなり緩和された。しかし、 CMにより裁量を持たせ主体的に動けるような制度自体の構造を変えないと本来の利用者ニーズに応えることは難しいことが提案されている。

 介護保険とケアマネジメントの関係で井上が論じている。こちらは介護保険施行前のケアも視野に入れており、介護保険前のケアシステムを知る良い資料である。介護を社会化するにあたってニーズを分節化とケアパッケージのマネジメントをするよりも、サービス供給の調整という側面が強調されたことが明らかにされている。現在、ケアのパッケージ化はあまり良い意味で使われていないが、そもそもソーシャルワーカーが自律的に連絡調整して利用者にサービスを提供する意味合いであり、専門性の高いサービスであることが分かる。その他、展望も含めとても読み応えのある内容である。

 梅谷はCMの業務「範囲」を明確にしようとした文献調査である。梅谷はCMは本来的なケアマネジメントではないとする立場を取り、本来ケアマネジメントとは、「最小限」「コーディネイション」「包括的」モデルに大別できる。CMはよくて最小限であると結論づけている。では、最小限以外でのケアマネジメントとは何か。志向するのは、社会の変化や個人の変化。エンパワメントなどの実践と言うことだろうか。現在のCMの業務内容をツリー状に分かりやすく表現しており頭の中の整理には役立つ内容となっている。

 本来的なケアマネジメントとは何かの議論について、太田らの労作がある。太田らは社会福祉士≒ソーシャルワーカーという位置づけから、そもそもソーシャルワークはより包括的で社会の変化を視野に入れたものであるが、実際はそうでないとする批判を行っている。それはケアマネジメント≒CMも同様であると。ケアマネジメントの歴史や本質追究の中で論じている。中でも、「本来ケアマネジメントとはケースワークやグループワーク、さらにコミュニティワークと同じく、利用者の自己実現を可能にするソーシャルワークの支援レパートリーの一つであり、ソーシャルワークの支援過程において展開される実践方法であると考える」(P6)等、示唆の富む内容となっている。

 圓山はケアマネジメントがニーズ中心の側面を強調する立場と効率的な社会資源の活用を強調する立場に分けられていることを明らかにしている。さらにケアマネジメントを深めてエンパワメントとしてのケアマネジメントをすることが利用者の地域生活の基盤がより充実するとする立場で論じてる。太田らが学術的な言説を踏んでいるのに対して、圓山はより実際的な立場で論じており、読みやすい内容となっている。そこでそもそもニードとは何かについて「体感的」「客観的」「法定」と3つに分けて論じており、現在のケアマネジメントは体感的ニード把握が手薄であることを指摘している。

 近いところでは「ケース」マネジメントについて、安達が概説している。日本においてケアマネジメントが高齢者ことに介護保険によって理解されているが、ソーシャルワークで言うところのマネジメントは、むしろ「ケース」と呼ぶべきである。ちなみに、ケアマネジメントの源流は太田らによると「ケアサービス」の提供形態が縦割りあったことにより、連絡調整、仲介機能、情報交換を手法として体系化したことにある。「ケース」マネジメントはより広範に、社会的、精神的、身体的な包括的な連絡調整であり、時に経済的、間接的なアプローチも含まれるとかなり広く論じている。改めてケースマネジメントとは何かを知るとてもよい内容である。


 視点を若干変えて、実際のCMの保有資格や業務内容への調査は馬場が行っている。馬場は400を越えるアンケート調査からCMの性別・保有資格・経験年数・所属・雇用形態・年収等々を詳細に調べており、CMとして働いている人にとっては自分の状況についての客観的な判断が出来る労作である。中でも業務に対して出来ているかとする調査では、保有資格によって判断のしどころが違うとする結果は面白い。いずれにしろ、業務内容としての「説明と同意」の中でも、利用料金やサービスの種類はまずまず出来ているが、契約書やCMの役割を利用者が理解できるように説明できているかについてはあまり進んでいないこと。アセスメントやケアプランも目先のことは良く把握しているが、長期的展望や過去の歴史(生活歴)の掘り起こし、インフォーマルな社会資源の把握が不十分であることなどが実態調査から見えている。

 CMの保有資格によってケアマネジメントに差が出ることについての調査は、斎藤も行っている。異なった教育課程で養成されたCMは、また異なった課題があるはずとする仮説の下で調査している。調査結果、共通するのは、CMは一般に専門性の高い仕事をしていると感じているが、利用者からの理解が得られにくいことも実感しているとのことであった。また自信が無いと思っているのが、面接や利用者の力を引き出す、利用者の価値観の把握などであった。保有資格については、ナースと介護福祉士の間に地域の格差や対象認識に有意の差があることが明らかにされている。

 より詳細に、CMの業務内容や交渉の仕方については、笠原連作している。交渉についてCMは大まかに「定型型」「協同型」「協働型」「危機対応型」「不本意型」「管理型」の交渉戦略を採るとしてそのタイプ別にインタビュー調査をしているユニークな内容である。連作の一つは、ケアプランの作成までのそれぞれのタイプ別の特徴について、もう一つが交渉の実際的な手順の違いについてである。特に交渉の手順の違いは具体的なやりとりを例示しており良く整理された内容である。CMを生業としている人にはとても参考になる内容である。


 高齢者の実態と援助者の取り組みについての文献も散見された。大和田は青森の在宅高齢者の虐待状況を全国と比較している。この論者は東北の福祉系大学で走る人ぞ知る人で、さすがというか論理構成がしっかりとしている。虐待を受けている要介護高齢者の状況を詳らかに調査したうえで、ケアマネジメントは調整だけではなく生活主体者の自己実現や生活の質を高めるためには弁護的(アドボケイト)機能が求められるとする立場をとる。ことに虐待事案下にある高齢者にとってはこうした弁護的立場をとることが重要である。この虐待対応機関として地域包括があるがその取り組みについては山階がある。大阪にある包括で働く社会福祉士を中心に、虐待の取り組みのフローチャートや相談件数、課題について整理している。結論から言って虐待の対応は包括のみで行えるわけではなく、様々な機関の連携をしていくことが大切である。そのうえで、こうした連携に関する教育が十分ではなく、連携に関する養成や実習の必要性が提起されている。

 近いところでは、困難ケースへの取り組みとして、村上和気の研究がある。村上は在宅を中心とした32件の支援困難事例について①利用者と家族の理解、②利用者との相互作用、③CM自身の課題、④所属機関との相互作用、⑤資源との相互作用などに分類し、どのような特徴があるのかを明らかにしている。最後の方で指摘しているのが、潜在化しているニーズを持つ利用者、接近困難な利用者などと呼ばれる人たちへのアウトリーチの必要性が提案されている。和気は困難ケースについて、欧米の多問題家族や措置制度下の時代そして介護保険下のそれぞれの困難の捉え方についてレビューしている。介護保険下においては、利用者の普遍化に伴う量的拡大により社会福祉以外の保健医療専門職がCMとして相談援助を担うようになった。また行政の責務や役割が不明瞭となり、関係機関の責任回避や連絡不十分な状況が恒常的なものとなった事から困難ケースをめぐる問題が深刻化しているとする視点は説得力を持つ。また和気は154人のCMより困難ケースの特性などについて調査している。困難ケースは14%と一定の割合にあり諸問題が重層化していること、利用者の精神的問題、家族問題、独居、サービル拒否などが上位にあることが明らかにされている。結論としてはこれまでと同じようにソーシャルワーク的な発想でケアマネジメントだけではなく、コミュニティオーガナイゼーションやアドボカシー等の援助技術の組み合わせの重要性を訴えている。他、困難でも虐待でもないが、利用者家族とかかわる際にCMが学ぶべき視点や力量形成の提言として小野らの研究がある。このほか、CMが利用者の自立支援や介護予防的なかかわりとしてどのような視点を持って行えばよいかについて、内田が長野県67人のCMに対して調査を行っている。結論として、歩行に対して残存能力の活用を中心に行うことの重要性を提起している。


 全くの別系統として、包括に看護師が実習した場合、看護師が実習で学ぶこととは何かについて磯邊が調査している。学びの視点として、①高齢者の生活や暮らしを知る、②ヘルスプロモーションの視点、③入院から家出の生活の見通しを立てる、④制度的なこと、人権など多様な視点で知ることが考察されていた。また包括の職員のストレスについて、望月が考察している。なんと1150人という大規模な調査で、全国を対象にしたもので、それだけにとても貴重な論文となっている。分析手法や処理については私はさっぱりわからないけれど、統計手法の記述はそれなりに妥当な手順を踏んでいるんじゃないかな。結論として、専門職の配置を多くとることや仕事に対して把握可能感、有意味感が高いとストレスフルな環境下でもやりがいを得ることが示されていた。


 総じて、ケアマネジメントを語る時は、CMの仕事は本来的なケアマネジメントではないという論調である。あるべき論が先行し、CMはソーシャルワークでもなければ相談援助でもないと言われる。それは、社会福祉士はソーシャルワーカーではないとする論点と同様である。CMは確かにケアマネジャーではあるが、高齢者~介護保険の第一線として相談業務についていることには変わりはなく、むしろ率先して援助技術、相談援助のあるべき論を実践できる立ち位置にいると考えることが出来る。よってケアマネジメントだけではなく、様々な技法を学び、活用し実践することが求められていると言える。たぶん、そんな期待を込めての論調なんだろうと解釈したい。

 研究の方向性として、困難ケースへの実践の蓄積が求められそうである。あるべき論などはもはや出尽くした感が強いため、あるべき論と実践のハイブリットな運用なんかが良いと考える。または、笠原のようなCMの交渉戦略やケアプランのパターンなどの分類や分析などもユニークであると考える。


ここに載せているリストは全て無料PDFあり


小野美奈子・松本憲子・草野径子(2002)「介護保険施行後のケアマネジャーの課題」『宮崎県立看護大学研究紀要』2(1) ,30-35

望月宗一郎(2011)『地域包括支援センターの専門職にみられる職業性ストレスの実態」山梨大学看護学会誌 9(2), 33-40

内田陽子(2006)「ケアマネジャーからみた在宅ケア利用者の自立支援・介護予防の条件」56,105-111

磯邊厚子(2010)「地域包括支援センター実習の意義と看護の役割の可能性」『京都市立看護短期大学紀要』35,33-41

村上信・濱野強・藤原由和(2007)「高齢者のケアマネジメントの現状と課題」『新潟医福誌』7(1),43-50

笠原由美(2007)「介護支援専門員のケアマネジメント過程における交渉戦略の移行の研究」北星学園大学大学院社会福祉学研究科北星学園大学大学院論集 10, 23-41

笠原由美(2006)「介護支援専門員のケアマネジメント過程における葛藤解決戦略の分析」北星学園大学大学院社会福祉学研究科北星学園大学大学院論集 9, 49-68

井上信宏(2005)「地域包括ケアシステムの担い手とケアマネジメント・ネットワークの構築」信州大学経済学論集 53, 75-97

齊藤順子(2005)「介護支援専門員の職務意識とその課題」総合政策研究 19, 105-123, 関西学院大学

馬場順子(2002)「介護支援専門員のケアマネジメント業務の現状と課題」『人間福祉研究』5,63-86

伊藤幸子(2005)「介護支援専門員の業務に関する考察」『奈良佐保短期大学紀要』13,37-43

梅谷進康(2005)「介護支援専門員の業務範囲についての一考察」『近畿福祉大学紀要』6(1),35-42

圓山里子(2001)「ケアマネジメントにおけるニード概念についての一考察」『現代福祉研究』1,113-125

太田義弘・小榮住まゆ子(2005)「高齢者に対する生活支援過程考察の意義」『関西福祉科学大学紀要』9,1-18

安達笙子(2006)「ケースマネジメントの援助関係」『鹿児島国際大学福祉社会学部論集』24(4), 17-32

山階克介(2011)「地域包括支援センターの一事例からみる高齢者虐待への取り組みに関する考察」『関西福祉科学大学紀要』15,135-146

大和田猛(2006)「在宅介護支援センターにおけるケアマネジメント実践の課題」『青森保健大雑誌』7,233-240

和気純子(2005)「高齢者ケアマネジメントにおける困難ケース」『人文学報』351,99-121


介護福祉士関連

 介護福祉士を中心に「介護福祉」に関する参考文献は9本。

 「介護福祉とは何か」については、さまざまな関連分野でも述べられていくので、あえて「介護福祉士」のキーワードで分類したものを取り上げてみた。


 介護福祉士に焦点を絞れば、おおよそその資格の持つ専門性を論じたものになる。養成教育については、安藤が介護福祉士の成立過程から養成施設の責務まで広範に論じている。介護福祉士と対となる社会福祉士はかぶる職種が少なくて容易に成立をしたが、介護福祉士の方は関係領域団体の利害や確執が生じ様々な駆け引きが行われたことなどの裏事情が面白い。特に、看護の分野では介護福祉士は自分の地位を脅かす存在として、本来3年の教育を受けさせるところを反対して2年としたことなど今の養成教育においてもそうした縛りがあることが納得できる。またそもそも何を教えることが介護福祉士なのかが不明なままスタートしたこと等わかりやすく描かれている。

 介護保険法と介護福祉士の養成課程の変更などを中心に論じたものが佐々木らである。こちらも介護福祉士成立過程について論じているが、安藤らに比べるとやや精緻な内容になっている。また介護保険がICIDHからICFの概念に変更されたことなどに触れながら、それに応じたリハビリテーションの重視などのカリキュラムの変化などを図説している。政府の通達などをよく読みこんだ内容となっている。特に現在、援助目標、対象理解が重要ではないだろうか。


 介護福祉士の独自性について、介護福祉と看護の違いについて奥津が論じている。奥津は中でも高齢者の在宅生活をこの両者がどのように支えるのか。連携するならば、お互いの役割とは何かについて論じている。一人のある骨折した高齢者の看護師の視点を引合いにだし、単に身体的、ADLの把握だけでは看護職と同じであり、その背景にある利用者のニーズや家族まで想像するべきであり、ソーシャルワークの一方法として介護福祉を位置付けてこそ独自性が明らかになると考えている。その他、専門性について視差の富む内容となっており一読の価値がある。

 同様に介護福祉学として成立するうえで、近接の学問領域(看護学、家政学、社会福祉学)との比較で津田らが研究している。学問が単独で成立することは一部以外はほぼ無理な話で、介護福祉学が実践科学である以上、さまざまな学問を横断しながらも行為としての介護の追及をすることが重要である。


 介護福祉士だけではないが、認知症に関する研修や資格付与について広くレビューしているのが、佐藤らである。1970年代から現代までの認知症ケアの人材育成について、制度基盤の成立からEBMの確立などなどが概説されている。現在は実務者研修やリーダー研修が主流であり、また介護福祉士でも認定専門介護福祉士(認知症)などなど思った以上に多様な資格があることがわかる。

 日本介護福祉士会の取り組みとしては浅井が論じている。専門職とは何かの言及から社会的に専門職としての認知度が低いことを鑑みて、介護福祉士会としては、会自体がすぐれた社会資本としての存在を示すことの重要性を論じている。

 介護福祉士だけではないが、介護職の専門職性については阿部が論じている。専門職とは、エキスパート、スペシャリスト、プロフェッショナルとあり、それぞれの意味について解説している。その他、さまざまな職業や議論に紙幅を割いており、興味のある人には一読の価値はあるかと思われる。介護福祉の専門職の位置づけについても、問題点を的確にあげたうえで、ケアリングという人にとって欠かせない行為を生業にしていることから専門職性があるとする視点に立っている。

 また在宅高齢者への介護福祉士の専門性という事で勅使河原らが調査している。これまでの調査では単純集計やレビューが多いが、この論文は因子分析によって介護知識と介護技術に関するグルーピングを行っている。その上、在宅ケアに特化されているので、在宅ケアにかかわる介護福祉士にとってはどのような知識や技術が必要になるのか参考になる資料である。


 やや別系統であるが、介護保険施設に勤務している介護福祉士の技能についての調査として、青木がある。これは養成ルート(現場経験から国家試験と養成校から直接取得)の違いで施設での業務に対する視点の違いを示している。国家試験ルートの良いところと悪いところ、養成校も同様の評価を調査している。国家ルートは業務に直接結びついた介護技術は優れているが、その根拠や倫理面、制度面については十分な教育の機会がない。逆に養成校側は自立支援への意識や職業倫理は高いが、実務経験がなく即戦力として期待できないという違いがあることがわかっている。


 総じて、「介護」福祉とは何かは様々なカテゴリーの中で論究されることであり、このカテゴリーだけではおそらく把握は困難である。また専門職性についても同様で、それはソーシャルワークの専門性や専門職性、専門資格と重なっていまだに定立していないジャンルである。とはいえ、介護福祉士は看護師に次いで最も多い登録人数になろうとしており、今後介護福祉士の国家資格としての独立性への論究はますます必要になろう。ましてや今後の高齢者の増大から介護を必要とする人々の増加が目に見えている今こそ。

 研究の方向性は多様であるが、社会福祉士の研究分野は実習関係のカリキュラムや指導方法、実習先との連携などがかなりの蓄積があり、介護福祉士は少ない傾向にある。この蓄積が必要であろう。


阿部と奥津はダイレクトにPDF((無料)へ流れるようになっている。その他、このリストは全て無料PDF


青木宏心(2010)「介護保険施設に勤務する介護福祉士の技能に関するピア・レビュー」『目白大学総合科学研究』6,79-94

阿部正昭(2009)「介護職の専門職化とその専門性」『コミュニティとソーシャルワーク』3,24-37

浅井タヅ子(2011)「ソーシャルキャピタルとしての介護福祉士会の役割と機能」『東海学院大学紀要』5,1-5

佐藤弥生・勅使河原隆行(2008)「日本における認知症ケアの人材養成の現状と課題」『保健福祉学研究』6,43-62,東北文化学園大学

津田理恵子・樋口美智子・熊谷智加子(2006) 「介護福祉学確立に向けて」『近畿福祉大学紀要』7(1),49-55

奥津文子(2001)「1999年11月6日日赤福祉学会関東部会大会のシンポジストからの報告」『社会福祉学評論』1,78-87

佐々木達雄・荒木隆俊(2007)「介護保険法施行をめぐる介護福祉士養成課程の変更と「介護福祉」の概念規定の変化」『羽陽学園短期大学紀要』8(1),87-100

安藤美弥子(2006)「21世紀の介護福祉士養成教育に関する一考察」『名古屋文理大学紀要』6, 103-111

勅使河原隆行・佐藤弥生(2008)「在宅ケアサービスにおける介護福祉士の専門性の研究」『保健福祉学研究』6,83-98,東北文化学園大学

デイサービス関連

デイサービスに関して参照した本数は15本。大まかに分類すると

  1. 経営に関すること。
  2. デイサービスの取り組みに関すること
  3. 利用している人の状況、利用者の在宅生活について
  4. その他として実習生の学びと分けた。

 まず、ここ最近の介護保険改正が、予防重視で要認定も軽度化が進んでいる事。あわせてデイサービスにどのような影響を与えているかについてが概説している。基本的に改正によって要介護から要支援に認定される人が増えたことでデイの利益が減収したことを中心に論じられている。または要介護でも重度から軽度へ移行していることが実証されている。その他、リストラの実態も数字をあげている。

 忍が介護保険改正による減収の要因を分析していたが、近いところでデイサービスの現況を広く調査しているのが、高橋である。高橋は、群馬県内の13か所での職員の配置状況、利用人数、利用者の年齢・世帯などを比較調査している。その問題意識は、デイサービス間で格差が存在し、それがサービスの質にあるのではないかという事である。郭は、デイサービスの成立過程や役割、歴史について多めにページを割いており、そもそもデイとは何かについて分かりやすく説明している。また、利用者のサービス満足度と職員の働き甲斐の満足度を調査している。この論点は、利用者と職員の満足の一致点がより良いサービス提供につながるのではないかという事である。他、利用するきっかけや期待すること等がわかりやすく整理されている。利用者が一番満足するポイントが職員の丁寧な態度や言葉使い、あるいは清潔感であるとする結果はある意味デイの本質をついているのではないだろうか。職員サイドでは、主体性や職場環境が整っているなどであり、この研究は一読の価値のある内容である。


 サービスの質を上げることについての取り組みについて柴原らは、利用者の普段の生活の質をどうとらえているか、QOL調査を行い、その後デイ利用での援助計画に基づいて、どのような生活の改善が見られたのかなどを明らかにしている。改善のスコアがなく、事例二つ程度であるが、閉じこもりから生活意欲が向上したことなどが紹介されている。

 遠藤も同様に利用状況をある程度パターン化してどのような理由でデイを利用しているのかを調査している。パターンとして、社会復帰派、自主グループ派、通所生活派、デイホーム派に分けて、事例として論じ一つ一つに評価を施している。デイを利用している人は単に、入浴希望とか家族の介護負担軽減など、利用のきっかけを逃さずに支援につなげることで明らかな効果があることなどを論じている。

 遠藤は別論文ではもっと広い視点であるいは総論的にまとめている。ここでも通所利用継続によって居場所が出来たり、役割が出来た事でうつ状態が改善したことを論じている。関連して、うつ傾向のある高齢者がデイ〈ケア〉を利用することでどう改善したかを一人の事例で継続調査したのが、稲谷である。かなり心理面への分析が詳細でそれなりの知識が要求される内容である。しかし、心理判断、ライフヒストリー、OTPTDrPSW等の各々の判断が詳述されており、本人の状況がよく描かれている。また面接技法に則ってセッションごとの逐語録は臨場感がある。デイケアは一つの生活意欲を引き出す一つのツールであるが、それでも生活や関係機関の連携の中でうまく埋め込まないとその効果は出ない良い例である。


 ではどのようなサービスを利用者が楽しみにしているのかを紹介しているのが木村である。木村はそもそも楽しいとはどういう状態なのかをフロー理論を基に説明している。フロー理論とは自分の能力とこれから行おうとする行為の難易度のバランスがとれている時に楽しみを感じるという理論である。また快適とは何かなど様々な先行研究を参照している。結果として、個人の知識、技能の向上、仲間との交流、生きがいや健康という様々な要因が相互に作用しあって楽しみを享受することが評価によって明らかになっている。また、福祉利用という視点ではなく、交流の場であるという意識で利用者はデイを利用しているという結果は、デイの取り組みのあり方を明確にしている。その一方で職員サイドに対してプログラムのあり方について川島らの調査がある。どのようなプログラムがあるのかを「目的的な活動」と「無目的な活動」に大別し、デイのプログラムの大半が無目的であることなどを批判している。残念ながら薄い調査結果で結論ありきの論述である。

 同様にデイの職員サイドのQOLややりがいについて福本が調査しているがこれもあまり内容の良いものではなかった。ダメな調査の良い見本であった。プログラムでも介護予防に特化したものとして、塩野の研究がある。取り上げるのは福祉の中でもモデルケースとしてたびたび名前の挙がる板橋区のデイの取り組みである。ちなみに板橋区は商売分野でもモデル的な取り組みをしているところである。具体的なプログラムメニューや実施方法、利用者の評価などがひたすら列記されていて、取り組みの仕方ではこんなに充実したメニューが出来るのだと驚嘆するばかりである。これは机上の空論ではなく実践したのだから「すごい」の一言である。中身は脚色なく淡々と描かれており、それがむしろ凄さを感じさせる内容となっている。


 その他、送迎サービスについて小野が調査している。送迎実態の調査はほとんどないといってよく、その意味で貴重な内容である。送迎車両、距離、ルート、時間など詳しく調べており、デイサービスなどで毎日送迎している人ならば、あるあるとうなずくような内容となっている。面白い内容で一読の価値がある。特に、雪が降る地方では


 別系統では、本来在宅生活をしている高齢者の実態としてカテゴライズするべきであるが、デイ利用している在宅高齢者の生活状況について小松が調査している。また長沼は夏場での脱水発生の実態調査をしている。一読すると、何もデイサービスを使うことの意義などに触れておらず、単にデイに来ている高齢者に在宅での脱水についての聞き取り調査であった。小松も内容的にデイに来ている認知症の利用者にどのような生活を望んでいるのかなどのニーズ調査というか、認知症は普段どんなことを思っているのかの聞き取り調査で、デイの役割は希薄である。とはいえ、認知症がやや重い人が普段どんなことを話題にしているのかを知る上ではある程度参考になる。調査結果、「結婚生活」「趣味・仕事」「現在の生活」「ニーズ表出のされ方」と分類されている。内容は本文を参考にかなり詳細に書かれており、読み物としては面白い内容でもある。

 実習関係ではデイサービスで看護学生がどのような学びがあるのかについて水主がまとめている。結果、レクリエーションスキルの必要性やコミュニケーションの理解など学ぶようである。最後の方で、「病棟での臨地実習は一定期間受け持ちの患者と毎日接する機会がある。また、看護技術を用いて看護過程の展開をして内容を深めていくことが出来る。しかし、通所施設における実習の場合は、限られた時間の中だけでしか高齢者と接することができない。そのためこの実習では、教員は学生が知識、技術、態度を習得して統合していくよりも、情意領域を中心にみて観察情報を自分の知識を統合させ内面化していくことを期待していた」P81が本来的な目的であろう。


 大まかにまとめてみたが、サービスの質についての評価やあるべき論は薄い傾向にあり、研究分野としてはあまり厚みがないのが実態である。事例的には稲谷のような事例がもっとあればよいが、文脈としてデイサービスは他の在宅サービスその他の一つそれも重要度の高いサービスと位置付けられていない傾向にある。とはいえ、デイは社交の場であり、引きこもり傾向のある高齢者にとっては有意なサービスであることに違いはない。

この分野の研究の視点としては、デイサービスが在宅生活にとって必要なサービスであることの有意性をインタビュー調査などを通じて積み重ねることが考えられる。


ここに載せているリストは全て無料PDFあり


水主千鶴子(2003)「通所施設における看護学生の学び」『和歌山県立医科大学看護短期大学紀要』6,77-83

小松一子(2009)「通所介護を利用する認知症高齢者のニーズ表出と以前の生活との関連」『花園大学社会福祉学部研究紀要』17,59-74

遠藤慶子・柴原君江(2004)「デイサービス利用者の継続利用と生活意欲」『人間福祉研究』7,115-127

遠藤慶子・佐藤芳子・柴原君江(2003)「デイサービス利用者の自立支援と評価」『人間福祉研究』6,63-80

塩野敬祐(2005)「老いを支える「介護予防のあり方」に関する研究」『淑徳短期大学研究紀要』44,1-27

小野めぐみ・森傑(2008)「高齢者通所介護施設による送迎サービスの実態と移動環境の課題」『都市計画論文集』43(3),403-408

福本安甫(2010)「通所施設職員の負担感とQOLに関する研究」『九州保健福祉大学研究紀要』11,107-112

稲谷ふみ枝・津田彰(2006)「高齢者デイケアにおける包括的心理的援助」『久留米大学心理学研究』5,81-90

川島貴美江・山口美津子(2004)「高齢者のデイサービスセンターにおける介護プログラムに関する一考察」『静岡県立大学短期学部研究紀要』18

木村郷太・小池和幸(2007)『デイサービス利用者の楽しみに関する研究」『仙台大学大学院スポーツ科学研究科修士論文集』8,201-209

柴原君江・佐藤芳子・遠藤慶子・田中陽子(2002)「デイサービス利用者のQOLと援助計画」『人間福祉研究』5,51-62

郭沛俊・捻金恭子(2006)「デイサービスの経営分析について」『香川大学経済論集』79(2),177-202

高橋流里子(1990)「群馬県内におけるディ・サービスセンターの現状と問題」『群大医短紀要』11,109-120

忍正人(2009)「通所介護事業の経営に及ぼした介護保険制度改正の影響」『人間福祉研究』12,141-151

長沼理恵・表志津子・塚崎恵子(2005)「在宅要介護高齢者の夏季における脱水発生に関する実態調査」『金大医保つるま保健学会誌』29(2),105-112


介護労働関係

  参考文献: 10本:参考文献は一番下に明記

労働条件が過酷であることや離職率が高いことなどを問題視したテーマの論文を中心にまとめた。

今更ながらいうことはないが、介護従事者の離職率の高さや定着率の低さは他の全産業の中でもとりわけ顕著である。どうしてそうなのか。最大の理由は賃金の問題であるが、雇用条件を整え、労働環境を整えることが重要であるという視点ではほぼ共通している。


瀧澤は、どのような法的に規定されているのかを大まかにレビューしている。どれも事業者の努力義務にとどまっていて労働基準違反や労働環境を整えることの強制力にはまったくなっていないことを指摘している。法令と関連して介護処遇改善交付金にからんでの人材確保について川瀬が詳解している。交付金の目的・申請手順や配分など詳しく論じており、それに併せて交付金の意図、職場環境の改善などについてさわり程度に論じ、交付金は一時的なカンフル剤にしかならないことを明らかにしている。


植北は、人材が集まらない原因について、労使間での地位や労働契約の理解が不足していることや経営状況や労働の内実が不透明であることなどを指摘している。また異職業からの転入者のミスマッチがあったりと教育の重要性を訴えている。そうした介護分野での労働市場を広くレビューしているのが下山である。下山は介護分野が市場化したことにより運営から利益を生み出さないといけない経営に変わり、利益を生み出すためには人件費を削減しないといけないとする力学が働いていることを前提に問題提起している。そもそも福祉を求職する人たちはやりがいを持った仕事をしたいとするイメージでできれば正規雇用されたいと思っている。しかし、言い換えれば、やりがいだけではなく、ある程度食べていけるだけの賃金を得たいとする意識が強いと言うことである。しかし、経営側は人件費抑制のためには正規雇用よりもパート雇用を求める傾向がありそこにミスマッチが生じていること。また、職種(相談員・介護員など)や職場形態(入所・通所など)、時間帯などに経営者側と求職者側ではミスマッチがあることを調査で明らかにしている。福祉労働市場を半閉鎖的職種別労働市場、不完全な専門職労働市場を位置づけており示唆の富む内容となっている。


別系統では介護労働の内実の一つ「感情労働」を焦点にして論じているものがある。これは専門職性やケアリングとも結びつく内容である。感情労働とは笑顔や共感的態度、傾聴など「感情」を商品として顧客(利用者)へ提示する労働である。特に介護は利用者と長期的に関わることから労働者(介護従事者)はより感情を管理する必要がある。長谷川はこの介護援助の中にある感情労働とは何かを詳しくレビューしている。

ちなみに感情労働に関する学問は、ポストフォーディズムの観点からスチュワーデス・ナースなどが良く引き合いに出されている。その意味で、介護分野について言及している長谷川論文は貴重である。感情労働におけるストレス(乖離する自分の本当の感情と職業上管理される感情のジレンマ)から、役割葛藤や職務における情緒的緊張などもバーンアウト(燃え尽き症候群)の一因となることは佐藤が明らかにしている。

また感情労働に関する別の切り口として、松川が現代の労働形態がまさにポストフォーディズムであり、その潮流の中でもっとも分かりやすい形で労働形態として機能しているのがホームヘルプサービスであることを取りあえげて論じている。長谷川が感情労働の中にある表層・深層、規則などのシステムを明らかにし、むしろよりよく働くには介護とは感情労働であることを位置づける重要性を提示している。しかし、松川は感情労働とは賃金の評価にしにくい無償面があること。そして、介護を女性の仕事として位置づけ、低賃金にしていることなどを批判している。「ヒューマンサービス職の中でも「愛情」が強調されやすいケア職(看護師、教員、ソーシャルワーカーなど)では職務における感情管理の過重な負担が原因となって、いわゆる燃え尽き症候群を示す者も少なくない」(松川:P.149)とする指摘は重い。

松川は感情労働に重きを置いた内容であったが、ポストフォーディズムのもう一つの側面である、労働の流動化、結果としての非正規雇用の拡大傾向について、高松が介護だけではなく全産業にも当てはまることを論じている。こちらは介護保険分野だけではなく、救護施設や知的・身体障害者施設まで含めた従事者数や年収などを厚労省の調査を元に幅広く論じている。


その他、業務分析(一日の業務内容やスケジュールなど)から介護職はどのような仕事内容なのか。なにが困難なのかについて明らかにしている先行研究もある。今岡らは夜勤、残業の現状について、少ない人員配置や多すぎる夜勤の回数、長時間労働やサービス残業の実態を調査している。その結果介護従事者の肉体的心理的過重が積み重なりやすいこと。それが離職へ促されていくことを提示している。中でも、夜勤の単独対応が心理的なかなりのプレッシャーになり、それがひいては施設内虐待の要因になりうることを問題提起している。

小坂らは、今岡らと同時期に論文を出し、ほぼ共同研究という位置づけで、このような過酷な労働環境であっても継続し続ける要件とは何かについて明らかにしている。こちらは夜勤とか残業に特化せず、幅広くスケジュールや業務一般についての調査を行っている。またそこで働く介護員の声などを拾っている。業務の中でも特に入浴が労働負担として過重な傾向にあり、継続するには従事者自身が主体的に動けるようになったと思えることだと結論づけている。そこで継続的なキャリア形成が必要であることを提示している。


このように介護労働に関する論文を大まかにレビューしてみたが、まずもって必要なのは賃金の改善、労働時間の短縮、身分の保障である。その上で、労働者は燃え尽きるのか。そして、どうしたら継続して働き続けることが出来るのか。社会的見地と心理的な見地からの理解が必要であると言える。

この分野の研究の展望として、社会的な側面では経営論、施設論などから賃金がなぜ低く抑えられているのかの分析と労働者側への利益配分の方策、あるいは、労働環境の改善のための手だてを具体的に模索する方法。あるいは改善を実践している事業所の取り組みへの調査など。また、心理的にはより詳解な業務分析や感情労働のシステムを明らかにしてバーンアウトの要因をより探り当てること。または継続条件を探すことなどが挙げられそうである。


3の下山はPDFなし。6の佐藤らはPDFがあるが有料。他は全てPDFあり。題名をクリックすればCiNiiに飛ぶことが出来る。

  1. 瀧澤仁唱(2011)「介護労働者の労働条件をめぐる法的課題」『桃山法学』17,29-58
  2. 植北康嗣(2010)「介護労働環境整備と離職率の関係についての一考察」『四條畷学園短期大学紀要』43, 34-40
  3. 下山昭夫(2005)「福祉労働市場における求職者の意識と動向」『総合福祉研究』10,20-39,淑徳大学
  4. 松川誠一(2005)「介護サービスの商品化とホームヘルプ職の労働過程」『東京学芸大学紀要3部門』56,139-153
  5. 長谷川美貴子(2008)「介護援助行為における感情労働の問題」『淑徳短期大学研究紀要』47,117-134
  6. 佐藤ゆかり・澁谷久美・中嶋和夫・香川幸次郎(2003)「介護福祉士における離職意向と役割ストレスに関する検討」『社会福祉学』44(1),67-77
  7. 高松智画(2009)「介護労働者の現状と課題」龍谷大学社会学部紀要』34, 19-30
  8. 小坂淳子・今岡洋二・杉原久仁子・藤原和美(2008)「介護労働の実態とその継続条件を考える」『創発 : 大阪健康福祉短期大学紀要』7, 111-123,
  9. 今岡洋二・杉原久仁子・藤原和美・小坂淳子(2008)「高齢者介護施設における夜勤、残業の現状と課題」『創発 : 大阪健康福祉短期大学紀要』7, 133-142
  10. 川瀬善美(2009)「介護職員不足問題と「介護職員等処遇改善交付金」」『白鳳大学教育学部論集』3(2),285-325
プロフィール

kuma

Author:kuma
救護施設→知的障害児施設→通所介護施設(高齢者)と15年以上。これからも思考と体力で、働いていきます。

自分のサイトもあります。
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