社会福祉の変換における歴史性の問題

末崎栄司(1999)「社会福祉の変換における歴史性の問題」『同朋福祉』5,59-73

http://ci.nii.ac.jp/ncid/AN10517509

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 えぇっと冒頭の方で、社会福祉の転換では、歴史の重みというものが少々欠如しているのではないかと思うという書き出しから、いきなりホームヘルパーの制度説明から始まってかなり面食らってしまう内容。その上で、公的ヘルパーが1割で民間ヘルパーは9割という河合克義教授の問題意識を丸写し。参考文献も2冊だけという歴史性の欠如を訴える内容としてはどうかと思う。

 どうも歴史性の欠如とは、後半に書かれている国家責任の後退への批判、国家責任が憲法に謳われたことの大切さを記述するところらしいが、私だったら、歴史性の欠如なんていわないで、国家責任が成立当初に比べ理念を喪失しているぐらいにしておいて、冒頭に、国家責任の歴史的経緯を書いて、例示としてホームヘルパーのことを書くかな。

 また現在の在宅福祉の流れから言って、間違った記述もある。根本的に、在宅高齢者の生活問題や社会問題が公的ヘルパーによって把握されることはなく、また民間ヘルパーは把握できないといったレベルではなく、こうした生活問題の総合的な視点はケアマネが担っており、総合的に計画される。むろん、ヘルパーが在宅高齢者の生活問題に意識を持つことはとても大切であり、それは公的だとか民間だとか関係なくそうした視点で業務に当たり、ケアマネに報告することもまた大切な仕事であると思う。

 これまでの在宅福祉が家族の介護に依存してきたし、いまはその傾向が更に強まっているのも確かである。国家や行政の責任の後退もはっきりしている。だからこそ、あり得るべき社会福祉の姿を思い描くことは必要だし、それは自分を含めた当事者性が問われているんじゃないかと思う。


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今日の社会福祉における社会的歴史的本質認識の欠如性

末崎栄司(2000)「今日の社会福祉における社会的歴史的本質認識の欠如性」『同朋福祉』6.63-77

http://ci.nii.ac.jp/ncid/AN10517509

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 要するに、資本主義国家では資本家と労働者という対立軸から、資本家が労働搾取等を行って社会問題とか貧困を生み出している。高齢者や障害者は、健常者に比べて資本家が労働力として必要のない存在に置かれるから、貧困に陥るのである。あるいは、高度成長期に総国民総中流と言われるように貧困はなくなったというスローガンがあり、すでに貧困問題はなくなったと言われ、こうした社会福祉の対象者の貧困・生活問題が置き去りにされているんじゃないかという主旨である。

 サラッと読むと、構成上読みやすく、資本家への批判や歴史的記述あるいは労働者の団結、そして高齢者や障害者が置かれている立場などなんとなく納得されがちになるが、この論文を鵜呑みには出来ないなとも思う。

 資本家が今の社会福祉の問題領域を作ったかのような記述であるが、資本家がいなければ雇用も存在せず、大量の失業者を生み出すことになる。よって、資本家は必要な存在である。また利益の追求をしなければ賃金が発生しない。利潤の極大化と低賃金は必ずしもイコールではない。

 後半に資本主義が労働運動や社会運動によって破壊されると、資本家たちが自分達の利潤を得ることも確保することも出来なくなり、だから最悪の事態を避けるために労働者の要求を一部認めているというが、資本主義でなければ、労働運動も社会運動も発生しないし、究極的には資本主義を破壊する程の運動は起こりえない。せいぜい、資本家のうちの何人かが市場からの退出処分を受ける程度である。

 社会福祉が補足する社会問題や生活問題が資本主義によって生み出されていることには異論はないが、それが資本家や資本主義を採用している国家が全ての責任を負っているというのは違うと思う。というのも、社会福祉は一つに社会防衛的観点からそしてもう一つが憲法の定める健康で文化的な生活の保障という人権思想が根底にある。この論文では生存権保障が資本主義への批判に転嫁されすぎているように思う。また社会防衛的観点が描かれていないと思う。

 引用文献など全くなく、論文としての体裁もなっていないように思える。

ポスト産業社会における社会福祉の対象理解

金子充(2002)「ポスト産業社会における社会福祉の対象理解」『社会福祉学』43(1),33-43,日本社会福祉学会

http://ci.nii.ac.jp/naid/110008093431

PDFあり:有料

 冒頭に、この論文の主旨がそのまま載せられている。

社会福祉学は、社会福祉の「対象」を理解するための枠組みを提供している。だれが社会福祉の「対象」であるのか、誰が「ニーズ」を持っているのか、あるいはその様な人々が社会に本当に存在するのか。こうした問いを立て、貧困、老齢、病気、障害、差別、抑圧、排除といった生活問題や援助の必要のある人々の存在を理解することは、社会福祉学に課せられた最も重要なミッションであると言える。

 その後、従来の社会福祉学の捉える生活問題とは何かの議論を踏まえた上で、現在の社会状況下に置ける社会福祉学が捉えるべき対象とは何かについて整理している。現在の社会状況の中でも特に、ポスト産業社会~ポスト・フォーディズムやグローバル化に焦点を当て、労働の流動化や新たな労働搾取。あるいは、稼ぎ手のモデルの変化による従来社会福祉が捉えていた規範的家族像の解体などを論じている。

 要するに、今の社会状況下では従来の社会福祉学が捉えていた生活問題には対応できないと言うことである。その時、改めて、社会福祉学の原点を問い直すとすれば、

福祉国家が産業社会の発展を基礎に、社会福祉の制度体系を整備してきたわけであるが、「中略」そこには必ず、根絶すべき対象としての貧困、そして援護・保護すべき対象としての児童と言った「規範」が存在してきた。このことは、対象理解とはあくまでも解釈の問題であり、そして社会福祉学が規範的な学問、ないし研究領域であることを意味している。したがって、対象を捉えることは社会福祉学の原点であり、また問題解決を目指す学としての使命であろう。

 その上で、現在の福祉国家は普遍主義の原理に根ざしているが故に、人々が際や固有性を持っていることに殆ど無関心であること。また社会福祉は男女の性別役割分担と人種差別を前提として成り立っており、さらにその規範を強化する方向で機能してきたことを批判されている。最後に、縦割りではなく、その脱構築を試み批判的社会政策論から多くのことを学べるのではないかと考察している。

 2002年の論文で若干古いかもしれないが、初歩的な意味でのポストフォーディズムやアンダークラスのことなどを学習するには丁度良い内容になっている。その上で、しばしば自分の持ち場の分野だけで事足りてしまっている社会福祉従事者にとって少し大きな視点で社会福祉を考えるきっかけになる論文かと思う。

プロフィール

kuma

Author:kuma
救護施設→知的障害児施設→通所介護施設(高齢者)と15年以上。これからも思考と体力で、働いていきます。

自分のサイトもあります。
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