「福祉レジーム論」再考

伊藤新一郎(2005)『「福祉レジーム論」再考』『北星学園大学大学院社会福祉学研究科北星学園大学大学院論集』8, 1-13

http://ci.nii.ac.jp/naid/110006818773

PDFあり

 副題は、国際比較研究における意義と課題となっている。

 イマイチ分かりにくい福祉レジーム、あるいは福祉国家のシステム、カテゴリーだが、この論文はじっくりとその辺の事を書かれている。福祉国家には例えばイギリス型とかデンマーク型とかアメリカ型などを想起するけれど、実際にどんな福祉のシステムを採用しているかとなれば、ちょっと難しい。教科書では主な特徴とか書かれているけれど、福祉施設などで働いていると視点が大きすぎてイメージがつきにくいし、興味が湧かない分野だったりする。

 しかし、いまの日本はどのような福祉国家のシステムなのかを知ることは結構、重要なんじゃないだろうかとも思う。しかし、上記のように理解しにくい国家戦略。そして国際比較となる。この論文では、この手の研究では必ず踏まえないといけない、エスピン・アンデルセンの福祉レジームの良き紹介論文となっている。

 一昔前まで、産業が良くなれば福祉も相対的に向上することがお気楽に考えられていた収斂論が破綻して、産業が良くなっても悪くなっても福祉施策へのアプローチは多様であるとする拡散論が台頭してきていること。しかし、いまは新たな収斂論としてグローバリズムによる福祉施策の影響が議論されているとのこと。また、一時期、福祉国家レジームと言われていたが、福祉国家というと多くは公的福祉の規模やそのあり方に関心が寄せられがちであること。しかし、国家、市場、家族が構成するレジームがあり、福祉供給における三つのセクターの比重のあり方が、レジームの制度構造を決定するということで、福祉レジームという広い概念として使われるようになったとのこと。

 その他、福祉国家という用語の使われ方の複雑さとか矛盾点、レジームの変容と後発型の国家のシステムについての議論など広く論じられている。

 特に、グローバリズムと国家の対応については、良く論じられているがその背景にはどのようなことがあるのかについてよく分かっていないこともあった。また、国家(公的)、民間、個人、家族などの福祉レジームも良く論じられるが、どうしてそんなことにこだわるのかシステムとしての共通概念が分からなかった。その意味でも、この論文は良き案内役となっている。

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テーブル表現に基づくカードゲーム戦略の推定について

小林 慎治・新谷 虎松(1997)「テーブル表現に基づくカードゲーム戦略の推定について」『全国大会講演論文集』54(2),91-92,一般社団法人情報処理学会

http://ci.nii.ac.jp/naid/110002890393/

PDFあり

ポーカーや麻雀など上がりの手により得点や勝敗を決定されるゲームでは、誰よりも速く上がりかつ高い得点の手をそろえるという相反する二者の両立をいかに果たすかが課題となる。この実現方法はプレイヤーの性質により大きく左右されるものである。このゲームでは開示される情報(捨て札や自分の持ち札)がある方向を指し示しており、これをいかにして抽出し活用するかが重要な点である。そのうえでプレイヤーに堅実型や博打型などの性質をうまく利用すれば良い結果が得られることが期待できる。

 ゲームでは開示される情報、捨て札や自分の持ち札がある方向を示しており、これをいかにして抽出して活用するかが重要な点である。そのためには相手の持ち札の推定、相手の上がり手の推定が必要である。この推定は、例えば捨て札は愛他の持ち札ではないという情報の他、その札より類推される何枚かの札は相手の上がり手を成立させるためには有望ではないという情報を与えてくれる。このことから相手の目標とする上がり手が推定されるが、それも状況によって適宜変更される。

 トランプの1人遊びも研究であるが、カードは将棋や囲碁と違って相手の手が完全に分からない「不完全情報ゲーム」である。不確実な情報の元で手に入る情報から相手プレイヤーの手の強さ、重要な絵札をどちらが持っているかを推論していく必要がある。(不完全情報ゲームプレイングシステムの構築)

 よって場の状況に応じて臨機応変に予定を変える。あるいは直感的な思考と複雑な方略を用いて論理的にプレイを行うのがカードゲームの熟達者であるといえよう。

 こうしたゲームでは人間プレイヤーは常に理性的で合理的な行動とをとるとは限らない。不完全情報ではファジィ推論におけるプログラムであるが、はったりという行動があり、不完全情報ならではの合目的でありながら、他者から予測されない、または予測を裏切る行為というものもある。

文学作品とエディプス的・前エディプス的な同一化

田中雅史(2008)「 文学作品とエディプス的・前エディプス的な同一化」『甲南大学紀要. 文学編』153, 57-83

http://ci.nii.ac.jp/naid/110007016724

PDFあり

 副題は、宮部みゆき『ブレイブ・ストーリー』その他を使った試論となっている。

 エディプスとは何か。簡単に言って、例えば父親のようになりたいと男の子が思うような同一化を指す。この同一化によって、社会的で現実的な欲望を持つことができるとされる。前エディプスとは、父親よりも男の子も女の子も、母親と自己が融合していると感じられる状態(包まれている感覚)から、分離してきたなぁと思う漠然とした不安感を指す。この論文の主旨、文学論についてはっきりとこの論者が言明しているところがあるので、抜き出しておく。

 作品に前エディプス期の精神内界という角度から光を当て、いわば作品を「機能」させ、社会的現実を作り出している同一化(そこには筆者である私自身も巻き込まれている)を解明する武器として文学作品を使おうというものである。文学という名の下に多くの人によって組み立てられてきた言語的構築物の蓄積は、このように実用的に役立てることができると私は信じるものである。

 おそらく文学論、あるいは人文の根底にはこうした願いが込められているんだろうと思う一文である。

 私は、ブレイブ・ストーリーも文中に出てくるドラゴンボールもNARUTO、ゲド戦記、村上春樹のネジ巻き鳥クロニクルもよく分かるのでついて行けるが、たぶんこうした作品を読まないとついて行けない内容だと思う。それだけに文学を論じることの難しさがあるんだろうと思う。そして、NRUTOを論じながら、クラインとかコフートとかドゥルーズ=ガタリが無造作に現れては消えることに違和感を感じてしまう。

 いずれにしろ、現実において、「よい」とされる対象や環境は現実ではもろく、そして厳しい。良き父もある日浮気をして別の女と別れることもある。その子どもにとって良き父で満足していたものがある日その自明性が崩れるのが現実である。強い母が、父の浮気から自殺を図ったりもする。かくも現実はある日冷酷に子どもに襲いかかる。それは、子どもだけではなく、大人の世界にもある。自明なものは何一つ無い中で、自分の自我は揺さぶられ、崩れ、そして生きるためには立ち直り、歩いていかないといけない。そうして前向きに生きている良き人々は周りをちょっと見ればいる。そうした人々にコンタクトを取って行くには、まずは自分と向き合うことそして一歩踏み出すことが必要である。その意味で、揺籃期のような前エディプスの退行もまた現実と自己を見つめ直すこと必要なことであり、そのことで画一的になりがちな自己のスタイルに複線をもたらす。前エディプス期は通常幼児期であるが、それは大人になっても必要なことなのかもしれない。

 生き直すことはできる。その揺れ幅がどこに向かっているかは分からないが…それでも、人の内界は豊かである。向き合うことは苦難が待ち受けているが、現実に疲れたときに、ふと頭をもたげる虚無感はもしかもしたら内界への旅の誘いなのかもしれない。

 いずれにしろ、ブレイブ・ストーリーを読んだ後にこの論文を読めば、もう一回読みたくなるかもしれない。そんな論文である。

認知症患者の談話分析

山根智恵(2008)「認知症患者の談話分析」『山陽論叢』15, 45-59,山陽学園大学

http://ci.nii.ac.jp/naid/110007479481

PDFあり

 認知症を検査する方法として、長谷川式簡易知能評価スケール(HDS-R)やウェクスラー成人知能検査(WAIS-R)やミニメンタルステート検査(MMSE)が有名である。その一方で、現実のコミュニケーションに近づける検査の模索がされている。これが談話分析というもので、この分析によって患者の言語コミュニケーション面の問題をより的確に捉えようとするものである。すでに1980年代には談話分析は研究され、1990年以降は談話分析の知見を取り入れた検査・評価を開発する動きが見られるとのこと。さらに、こうした日常的なコミュニケーションで分析・検査をすることは、患者の負担の軽減につながるのではないかとされている。

 先行文献や研究方法は適正で、倫理的配慮もしっかりした良い研究論文である。また、分析結果の示し方も良く分かりやすい。

 分析の手法は、1.導入(挨拶など)2.レベルチェック・突き上げ(判定基準のチェックなど)3.ロールプレイ4.終結部に構成されている。レベルは、初級は「はい・いいえ」「好き・嫌い」で応えるもの。中級は相手に事実や情報を求める。上級は説明を求める依頼表現。超上級は仮定的な質問となっている。その後、どのような発言があったのかについては、フィラー(「え~」とか「あ~」とか発話の一部分を埋める音声現象)、相づち・応答詞、接続語・接続表現の多さなどで、その人がどのようにコミュニケーションを取ろうとしたのかを分析している。

 当然ながら軽度の認知症では、フィラーなどの音声現象は多く、コミュニケーションが活発であることが伺えるし、脳血管性の方が情報量としてアルツハイマーよりも多いことが分かっている。また、フィラーの少なさが発話能力の低下と関係するかもしれないという予測結果を示している。

 しかしこうした談話分析はその人の性格とか健常であったときのコミュニケーション能力にもかなり影響されるのではないかと思う。話したがらない人、寡黙な人、その一方で、かなりお話し好きな人など。考えようによっては、HDS-Rなどもその人の元々ある知能や検査内容の理解度によって大きく左右されるし、検査自体に拒否的な場合と協力的な場合ではその結果はある程度左右されることを考えると、談話分析のみならず、検査の持つ不確かさはある程度織り込み済みな上で論じられているんだろうと思う。

 何より高齢者福祉とか心理分析など専門外なだけにこんな方法もあるのかと勉強になった。

人身取引研究の展開と課題

大野聖良(2010)「人身取引研究の展開と課題ジェンダー研究」『 お茶の水女子大学ジェンダー研究センター年報』13, 29-43

http://ci.nii.ac.jp/naid/120002907109

PDFあり
 一般に人身売買と言っても、それはいわゆる性産業へ売られる少女達ということだけではなく、強制労働や臓器摘出目的など男性の被害者も該当する問題である。しかし、やはり主眼は、女性や子どもの性的搾取目的の形態に焦点が置かれてきている。

 また人身売買は、単に摘発し、加害者を罰し、被害者を帰国させるなどですむ話ではなく、その背景にある構造や権力関係にも着目しないといけないが、それが国家間にもおよびその根はかなり深いことを認識に置く必要がある。さらにその人身売買が、誘拐とか経済的強制などの違法行為によるものか、当事者の形式的であっても同意に基づく、一時的な個人の性的使用権に基づくのかによって、人身売買の意識が違う。売買春の問題は、現代の奴隷制なのかセックスワークなのかと言う二項列の問題からはみ出して議論されている。

 例え売春が、身体の性的使用権であるとして、売春を正当化しても、それは臓器も同様であり、身体をお金に替える行為であり、その使用権は個人に帰する正当性が成立してしまう。一般に売春と臓器摘出の人身売買は同じように考えられないが、身体の使用権という項目で括るとそうした議論もあると言うことである。

 本論は、様々な代表的な立場から人身取引について論じられており、論の展開としても申し分ない内容である。売春は産業として認めて、その女性の人権の向上や権利擁護を謳うべきか、それともやはり廃絶にするか。権利擁護という現実主義を取れば、逆にそれでも現実に起こっている人身取引の実際の被害は言及されにくくなってしまう危険性もある。

 最近2000年以降は、売春論とは別に移動の中に観る人身売買の仕組みや国家や仲介業者の人権侵害に焦点を当てた構造論が注目されていることを紹介している。この移動のメカニズムを通じて、人身売買の権力構造を客観的に分析し、搾取するアクターを可視化することで、移動の制度上の問題を明らかにしようとしていることを紹介している。

 売春や人身取引、あるいは労働搾取などに興味のある方にとっては、広く考える上で良い論文だと思う。

プロフィール

kuma

Author:kuma
救護施設→知的障害児施設→通所介護施設(高齢者)と15年以上。これからも思考と体力で、働いていきます。

自分のサイトもあります。
kumaの学習ノート

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